捨てていいはずのモノが捨てられない
「決められなさ」を許容できるか

 古い住宅の場合、先代の所有物が押入れの奥に手付かずで遺されていることも多かったです。茶箱に入った古い着物、手作りの工具箱、缶にしまわれた大量の写真やすすだらけの日記帳、骨董品など、出てくるモノも様々でした。

 とあるお宅では、押入れから先代の家族アルバムが出てきました。90歳代のお父様に確認していただくと「親父の代の写真だね。釣りが好きな人だったからこういうのがたくさんあるんだよ」とのこと。そしてひととおりご覧になった後で「俺のじゃないからわからない、いったん倉庫にでも片づけておいて」と仰るのでした。

“もういない人のモノだから自分が決めてよい”と思えない人がこんなふうにたくさんいることが、最初は驚きでした。

なぜ実家の両親はモノを捨てられないのか?高齢者宅の片づけで重要な3つのポイント押入れの中から出てきた、先代の家族アルバム Photo by sea

「決められない」には逆のパターンもあります。

「この服、私は痩せてサイズが合わなくなったけどお友達のAさんにあげようかと思って」「このお皿、私はもう使わないけどお嫁さんが使いたいかもしれないから」というように、「自分のモノだけど誰かに決めてもらいたい」という気持ちが見てとれるケースです。

「処分する=終わりにする」というのは取り返しのつかない重要な「決める」作業なので、慣れていない人はどうしても往生際が悪くなります。捨てるか捨てないかで不毛なせめぎ合いをするより、“使う見込みはないけど捨てがたいモノ”と分類して、一旦やり取りを終わらせるのがおすすめです。

 アルバム類はビニールバッグにまとめて封をし、倉庫に移動させました。

なぜ実家の両親はモノを捨てられないのか?高齢者宅の片づけで重要な3つのポイント「使う見込みはないけど捨てがたいモノ」はまとめて倉庫に Photo by sea

 高齢者の「決められなさ」に振り回されて「これじゃ一向に片づかないじゃないか」と焦らないでください。これは、信頼関係を築く最初のステップです。自分の選択を尊重してもらえる、嫌なことを強制されない、と思えるようになると、高齢者自身の取捨選択も徐々に変わってきます。

 実家の片づけで扱っているのは“モノ”ではなく“高齢者の感情”ということを忘れずに。