『嫌われる勇気』の著者であり、アドラー心理学の第一人者である岸見一郎氏が、人生で出会った古今東西の珠玉の言葉を紹介。こと人との関わり合いにおいては、怒りの感情に支配されるのではなく、冷静に言葉を伝え、受け止めることが重要だ。本稿は、岸見一郎『悩める時の百冊百話 人生を救うあのセリフ、この思索』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
いきなり人を信じる
それが本当の「信頼」
彼は夢を見るような表情を浮かべて呟いた。(沢木耕太郎『深夜特急1』)
沢木耕太郎が香港に滞在していた時、失業中のある若者に会った。日本に行けたらと夢見るような表情で語るその若者と沢木はソバを食べた。食べ終わると、彼はソバ屋のオバサンに、中国語で何かを話しかけ、グッバイと言い残して、料金も払わずに帰ってしまった。
沢木は、もちろん、自分で金を払うつもりだったからかまわないが、礼の一つくらいあってもいいのではないかと思った。見事な手際で集(たか)られたことにがっかりしながら、ソバ代を払おうとすると、オバサンはいらないという。彼がどうやらこういって立ち去ったらしいと沢木は理解した。
〈明日、荷役の仕事にありつけるから、この2人分はツケにしておいてくれ、頼む……〉(前掲書)
自分が情けないほど、みじめに思えてくる、と沢木はいう。
〈情けないのはおごってもらったことではなく、一瞬でも彼を疑ってしまったことである。少なくとも、王侯の気分を持っているのは、何がしかのドルを持っている私ではなく、無一文のはずの彼だったことは確かだった〉(前掲書)
相手が約束しても、本当にその約束が守られるか信じられないことはある。和辻哲郎は次のようにいっている。
〈信頼の現象は単に他を信ずるというだけではない。自他の関係における不定の未来に対してあらかじめ決定的態度を取ることである〉(『倫理学』)
明日、荷役の仕事があるかはわからない。この若者がほぼ確実だからツケにしておいてくれという約束をした時、彼は「不定の未来」に対して決定的態度を取った。当てにしていた仕事にありつけなければソバ代は払えない。約束をしても、気が変わることもありうる。未来は「不定」なので、その不定で未知の未来は信頼で補わなければならない。
だから、「信頼は冒険であり賭けである」(前掲書)のだが、この人は本当に信頼できる人かどうかを調べてから信じるのではない。
〈人が信頼に値する能力を持つことを前提として、いきなり彼を信ずる。それが他への信頼である〉(前掲書)
ソバ屋のオバサンは「いきなり」若者を信頼した。沢木がこの若者の行動を理解できなかったのは、中国語がわからなかったからではない。彼を信頼できなかったからである。