先入見に囚われて判断せず
間違えたらすぐに謝る

 イーヨーの弟は、また一拍置くように考えこみ、みるみる真赤になった。かれは父親の誤解における自分の像を恥じたのだ。(大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』)

 障害を持って生まれたイーヨーには弟と妹がいる。イーヨーが通う養護学校では1学期ずつすべての生徒が校内にある寄宿舎に入ることになっていた。

〈寄宿舎入りがまぢかということもあり、両親の関心がイーヨーに集中している。イーヨーの弟と妹は、とくに父親から無視されていると感じるところがあったのらしい〉(前掲書)

 特別な時だけでなく、親はどうしても手のかかる子どもに関心を向けなければならない。そのことを嬉しく思わないきょうだいはいるが、イーヨーの弟と妹はしっかりと兄の手助けをした。

 小説の中で、弟が病気になる話が出てくる。父親は、もしも腎臓を摘出しなければならないとしたら、自分か母親かイーヨーの3人のうち誰の腎臓を1つ移植するかという相談をした時に、誰の腎臓をもらうつもりだったかと、弟に問う。

〈そうだねえ、(中略)イーヨーは「ヒダントール」をのんでいるからね〉(前掲書)

 イーヨーはてんかんの発作が起きることがある。ヒダントールは発作を抑える薬である。

 父親は臓器の性能で判断するのか、それはあまり「エゴイスチックな選択」というものではないかと思ってムッとしたが、父親の誤解だった。

〈――イーヨーは「ヒダントール」をのんでいるから、とかれは正確をめざして繰りかえした。抗てんかん剤というようなものは、有害な成分もふくんでいると思う。それを処理するためには、腎臓がふたつなければ無理じゃないの?〉(前掲書)

 父親は謝り、イーヨーの弟の「配慮の適切」を認めた。弟は「父親の誤解における自分の像」を恥じた。

 間違いに気づいた時、すぐに謝れない人は多い。誤解しているかもしれないとは思わない。

 自分の最初の言葉では誤解されていることを知った弟は、自分の発言の意図を言葉を尽くして説明しなければならないことを知ったであろう。

 説明を聞いた父親は自らの不明を恥じたであろうし、次からは先入見に囚われて判断しないよう努めたであろう。