「でも僕はまだ子どもだよ…」13歳の息子に親が“突拍子もない挑戦”→成長後、空前絶後のベストセラー作家に写真はイメージです Photo:PIXTA

『ジュラシック・パーク』ほか1億5000万部以上を売り上げたベストセラー作家M・クライトンは、少年時代に「ニューヨーク・タイムズ」への寄稿を実現させた。彼を子ども扱いせず、可能性を信じ挑戦を後押しした両親の言葉とは――。本稿は、岸見一郎『悩める時の百冊百話 人生を救うあのセリフ、この思索』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

いつ訪れるかわからない
チャンスのために常に準備せよ

 ほかに何も学ばなかったとしても、長い年月のなかで私もこれだけは学んだ。すなわち、ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持ちに駆られる可能性は大いにある。自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである。(ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』柴田元幸訳)

 ポール・オースターは8歳の時、初めて大リーグの試合に行った。試合の後、ニューヨーク・ジャイアンツのウィリー・メイズの姿を目にした。メイズは、ユニフォームから普通の服に着替えて、オースターのすぐ目の前に立っていた。ありったけの勇気を奮い起こしていった。

「サインしていただけませんか?」

「ああ、いいよ」とメイズはいったが、「坊や、鉛筆は持ってるか?」とたずねた。ところが、オースターは、鉛筆を持っていなかった。親も、その場にいた大人たちも誰も鉛筆を持っていなかった。彼は肩をすくめていった。「悪いな、坊や」。そして、野球場を出て、夜の中に消えていった。その夜以来、オースターはどこに行くにも鉛筆を持ち歩くようになった。鉛筆で何かをしようという目的があるわけではなく、「ただ、備えを怠りたくなかったのだ。一度鉛筆なしで不意打ちを食ったからには、二度と同じ目に遭いたくなかったのである」(前掲書)

 チャンスがいつ訪れるかはわからないが、その時のための準備をしておくことはできる。ポケットに辞書をいつも入れていた人を知っている。中学生の頃から学校に行かなくなり、10年ほど引きこもっていた若者が私のところにやってきたことがあった。コートの片方のポケットから本を取り出した。ポール・オースターの小説だった。

「ポール・オースターの本が好きなのです。でも、僕は学校に行かなかったので、漢字を読めないのです。それで、これではダメだということは知っているのですが」

 と、もう一方のポケットから今度は国語辞典を出してきた。

「僕は総画索引が引けないので、漢和辞典ではなく、国語辞典を使っているのです」