私の息子が4歳の時、娘が生まれた。ある日、夜遅い時間に息子と妻が1階にあるトイレに一緒に降りて行った。突然、母親がいなくなったことに気づいた零歳の娘が大泣きを始めた。
しばらくしたら、息子が大きな音を立てて、階段を上がってきた。その日は横浜に住んでいる父が帰ってきていた。父は1階の部屋で寝ていた。それなのに、息子が大きな音を立てて上がってきたので注意しようとしたら、私の発言を制してこういった。
「もしも僕が、大きな音を立てて階段を上がってきたら、**ちゃんは、お母さんが上がってきたと思って、泣き止むと思った」
この話を聞かないで、いきなり叱っていたら、子どもとの関係は損なわれただろう。このような時には、きっと何か理由があるのだろうと思って、冷静になる必要がある。簡単なことではないが。
自分を常に客観視し
正しさに固執しない
自分を省みるためには、自分を客観視することが必要である。アウレリウスは自分のためにだけ書いた『自省録』の中で、自分に「お前」と呼びかけ、自分自身と対話をしている。
アウレリウスは、情念から自由になった心のあり方を「アパテイア」(不動心)といっている。これは「パトス(情念)がない」という意味である。アウレリウスは、自分自身に「お前」と呼びかけ、アパテイアではいられない自分自身と対話をしている。自分自身と対話をすれば自分を客観視することができる。
アウレリウスは「復讐する最善の方法」と書いているが、復讐することを勧めているわけではない。相手が怒りをぶつけてきたとしても、自分も同じようにしてはいけないという意味である。争いを煽る人は、やられたらやり返せというが、どれほど挑発されても、それに乗ってしまっては、争いはエスカレートするばかりで、問題の解決にはつながらない。