大江は、障害児たちの親を見て、「苦労にみちたその暮らしを耐えているのみの人たち」(前掲書)と考えるのは、センチメンタルで、実態に即さない観察にすぎないという。

〈端的に喜びを、それらの障害児たちは両親にあたえている〉(前掲書)

 これは子育てや介護でも同じである。側から見ているだけの人にはわからない苦労が多いのは本当だが、ただただ苦しいだけではないと思えなければ、子どもや親と関わり続けるのは難しい。

 大江はさらに次のようにいっている。

〈それにもまして、思うことがある。障害児たちは自分のあじわっている苦痛、乗りこえている困難を誇大には口にせぬ、総じてがまん強い者たちだが、かれら自身、障害を持って生きることで、――仕方がない、やろう!と自分にいった者たちでもあるのではないかと……〉(前掲書)

「仕方がない、やろう!」と思ったのは、家族だけではないのである。

 老健(介護老人保健施設)で過ごすようになった父を週末訪ねると、恐怖を訴えることがあった。父は常は霧の中で過ごしているように見えた。過去をなくし、今自分がどんな状況に置かれているかがわかっていないように見えた。

 父は過去を忘れたのではなかった。喩えてみれば、作業できるスペースがなくなってきた机で何かをしようと思ったら机の上にある使わないものを片付けないといけないように、必要でない、あるいは思い出したくない記憶を脇へのけていただけだったのである。そこで、何かの拍子に過去を思い出すことがあった。

 霧が晴れる日があるのである。子どもの頃から知っている父に戻っているのがすぐにわかった。父は忘れたはずの過去を思い出し、自分が置かれている状況を理解していた。

 霧が晴れるのは家族にとっては嬉しいことだったが、父にとっては耐え難い苦しみ、恐怖であったに違いない。父は母のことを忘れた。妻が四半世紀以上も前に亡くなったこと、そして今は一人であることを父が覚えていれば、その事実を受け入れるのは困難だったであろう。

 そんな日でもすべてを思い出せるわけではない。忘れてしまった記憶があることはわかった。ある日、父はこういった。