子どもたちは、生きていくためには親の不断の援助が必要である。しかし、子どもは親から与えられるだけではない。子育ては思うようにいかないこともあるが、それでも子どもと一緒にいられることを喜びに感じられるのは、子どもは特別に何かをしなくても「今」親に幸福を与えてくれるからである。その意味で、子どもは生きているだけで貢献している。毎日無事に生きていることがありがたい。そう思えたら、子どもとの向き合い方が変わってくる。親との関係も同じである。

引き受ける以上
積極的に選択したほうが良い

仕方がない、やろう!(大江健三郎『恢復する家族』)

 全国で発行されている詩集に賞を与える企画があった時のことを大江健三郎が書いている。普通は下読みする人がいて、その後、審査する人があらかじめ選ばれた作品からさらに絞り込んで賞を与えるのだが、予算の都合もあって、下読みをする人を選ぶめどがつかなかった。

 そこで、谷川俊太郎が友人の大岡信に呼びかけ、膨大な数の詩集の下読みをした。その縁の下の力持ちの仕事はその後幾年も続けられたという。谷川はこの時、「仕方がない、やろう!」といった。

 この話を聞いた大江は、「谷川氏独自の、穏やかだが意志の強さもあきらかな歯切れのよい口調がすぐ耳に浮かび、この言葉が心にきざまれたのだった」といっている(前掲書)

 大江は、障害児を持った親は「その生涯で一度は、決定的な瞬間に、――仕方がない、やろう!と自分にいって、その決意をまもり続けてきた人たちであるように思われるのだ」という(前掲書)

「仕方がない」という言葉は、普通は、本当はしたくないが引き受けるしかないという意味で使われるが、谷川や大江の使う「仕方がない」は、これをやろうという強い決意を表す言葉である。障害を持った子どもの親だけでなく、子育てや介護をする時には、「やろう!」という覚悟が必要である。他の誰も引き受ける人がないから仕方なしにするのではなく、自分が引き受けられる状況にあるのなら、私が引き受けようと決心するしかない。

 とはいえ、そう思えるまでには、気持ちが揺れ逡巡する。どうして私がしなければならないのだ、自分の人生が束縛されることになると思う。それでも、私が引き受けるしかない、引き受ける以上、進んで「やろう!」と思うしかない。