彼が学校に行っていれば、漢字を読めて、新聞でも小説でも辞書を引かないで自在に読めるようになっていただろう。しかし、学校に行っていたら、勉強を強いられた結果、むしろ、本を好きにならず、その後の人生においても、本をあまり読まなかったかもしれない。ポール・オースターについて熱く語る彼からは、読書が好きでたまらないという思いが伝わってきた。

 本との出会いも人との出会いと同じく、偶然的なところがある。私はこの時まで、オースターの小説を読んだことがなかったが、彼に影響されて読み始めた。

 人との出会いが人生を変えることはあるが、人生を変えうるような本に出会うほうがはるかにたやすいように思う。それでも、出会った本が人生を変えるためには準備が必要である。彼がいつもポケットに辞書を入れていたように。

 人との出会いはいつも偶然のことに思える。行きずりの出会いにしないためには、準備と関係を深める努力が必要である。本の場合はただ手に取るだけではなく、読まなければ何も起こらないが、人であればただ会っただけでその出会いが意味あるものだと思ってしまう人がいるかもしれない。

あなたが16、17歳のときに相手の女性に対して抱かれた愛の心持ちは、まことに純粋なものであり、100パーセントのものだった。そう、あなたは人生のもっとも初期の段階において、あなたにとって最良の相手に巡り会われたのです。巡り会ってしまった、と申すべきなのか〉(村上春樹『街とその不確かな壁』)

 若い日に出会った人が「最良の相手」であっていけない理由はないが、その人が「最良」の相手になるためには、本を読むような努力が必要である。しかし、関係をよくするための努力は決して苦痛ではない。

 そのような努力をしない人は、古典や名著という評価がされている本、他の人から高く評価されている本しか読もうとしない人のように、世間的な評価でしか人を見ない人のようである。他者の評価にとらわれずに、関係を育む努力をする人であれば、若い日に最良の相手に出会えるかもしれないし、晩年に出会うことになるかもしれない。

やらなかった後悔よりも
失敗した後悔のほうマシ

「そんなこと誰にもいう必要ないわ」(マイクル・クライトン『トラヴェルズ』田中昌太郎訳)