作家のマイクル・クライトンは9歳の時に作家としての一歩を踏み出した。医学部在学中、父親は学費を払わなかった。そこで、原稿料で学校に行こうと決意したことが、作家マイクル・クライトン誕生の決定打になったのだが、それ以前にも、ジャーナリストであり、編集者である父親は彼に様々な刺激を与えた。
14歳で、彼は「ニューヨーク・タイムズ」に旅行記を寄稿し、原稿料をもらっている。アリゾナ州にあるサンセット・クレーター・ナショナル・モニュメントを見に行った時、その場所の面白さを大半の観光客は知らないのではないかと話したところ、両親は、それならそのことを書けばいいではないかといい、「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿することを勧めたのである。
「《ニューヨーク・タイムズ》だって?でもぼくはまだ子どもだよ」
「そんなこと誰にもいう必要はないわ」
クライトンは父の顔を見た。
「レンジャー事務所でありったけの資料をもらって、職員にインタヴューするんだ」
と父親はいった。
そこで、クライトンは家族を暑い日差しの中で待たせておいて、何を質問しようかと考え、職員にインタヴューをした。
「まだ13歳の息子にそれができると両親は考えているらしく、そのことに私は勇気づけられた」
とクライトンはいっている。
岸見一郎 著
通常の親子関係であれば、子どもがしたいといっても、親が止めるだろう。無論、親ができるといってもできないことはあるが、挑戦してみてうまくいかなければ、再度挑戦すればいいだけのことなのに、親が先回りして止めてしまう。子どもも親に従ってしまい、挑戦して失敗するよりも、挑戦しないで失敗しないことを選ぶ。そのような人は可能性の中に生きて、後になって、もしもあの時、挑戦したらできたであろうというのである。
クライトンが「でもぼくはまだ子どもだよ」といったのは、失敗した時のために予防線を張ったのである。できるかどうかは子どもであることには関係ない。大人でもできないかもしれない。できないと思った人は、できない理由をいくらでも見つけることができる。
失敗したら平気ではいられないかもしれないが、挑戦しなかったら後々もしもあの時やっていたらと思うようになる。むしろ、そちらのほうが問題だろう。