彼の自伝には、苦労や努力といった記述が、ほぼ全くといっていいほど出てこないのだ。それどころか、人生で出会った人たちの名前をフルネームで挙げ続け、今の自分があるのはその人たちのおかげであると語り続ける。冒頭から3分の1ほどは、ずっとそんな内容である。

 なおここで出てくる人たちとは決して、大富豪になったきっかけをくれたような有力者とか、そんなものではない。学のない自分に本を貸してくれた、15歳の時の知人。週給を2ドルだけ増やしてくれた、16歳の時の上司。極めつけは、渡米する際にジュースを一杯おごってくれた船員の名前まで挙げ、深い感謝とともにこんなことを語っている。

「私は、あの泡だって流れ出る清涼飲料水が入っていたすばらしい飾りのついた真鍮の器を忘れることができない。(中略)なんとかして彼を探し出そうとしたが、ぜんぜん手がかりがない」

 一体この人の哲学の本質は、どこにあるのだろう。それを知る手がかりとして、こんなエピソードがある。

 スコットに引き抜かれペンシルベニア鉄道に転職したカーネギーは、ある日、非常に悩ましい決断を迫られる。管轄地域で大きな鉄道事故が発生し、全区間で列車の運行が混乱する非常事態が発生した時のことだ。手を尽くし、運行管制に権限を持つスコットを探すが、どうしても見つからない。しかしこのままではさらに混乱が広がり、大変なことになるだろう。すると大胆にもカーネギーは、スコットの名前で次々と管制指令を発してしまうのである。

 事故を聞き、慌てて事務所に戻ってきたスコット。しかしその時には全ての運行が正常化してしまっていた。驚くスコットに、カーネギーは自分が独断でやったと申告する。彼のやったことは明らかに越権行為であり、法律にも抵触する重大な規律違反だ。そのためスコットも褒めることなどできず、微妙な空気が流れてしまう。