古いようで新しい「左利き書道」問題
普及への道のりはまだまだ長く

 約4000年前に中国ではじまり、日本においては仏教の伝来とともに伝わった毛筆。それ以来、ゆうに千数百年もの長いときを経た筆記具といえますが、西洋式の硬筆(ペンや万年筆、鉛筆)が定着した現代では、生活必需品というよりも「書の芸術のための道具」として扱われがちです。

 だからこそ学校教育においても、書かれた文字の内容よりも、書かれた文字の美しさや丁寧さが児童に与えられる成績表の評価基準となります。

 いくら美しい文字が良いとはいえ、現代人の大半は達筆とされる草書で書かれた文章を理解することはできないでしょう。むしろ求められているのは「誰が見て読んでもわかりやすい文字」ですが、左手で書く人の文字すべてが判読できないものばかりなのでしょうか?

 教室で数十人の児童を1人ないしは2人で指導しなければならない教師の重い負担もさることながら、一部の児童だけに手取り足取り指導することは、教室内だけでなく保護者から「特別扱いしている」と誤解をまねく危惧さえあります。

 だからこそ、「左利き筆法」や左利きを考慮した教科書などがあるものの、普及への道のりはまだまだ長いと言わざるを得ない現実があるのです。

 とにもかくにも「左利き書道」とは、左利きをめぐる、古いようでいて一番新しくもある問題のひとつなのです。

 その証左として、2023年4月12日付けの中日新聞に掲載された、左利きの息子をもつ43歳の親による「右利き優位の社会」に対する異議申し立てをひいておきます。

《小5の息子は左利きで、右手で書くよう指導される学校の書写を嫌がります。3年では左手で書いていましたが、4年で先生が替わり、右手で書くことやその先生の厳しい言動にストレスを感じているようです。先生への相談は嫌がるのでできません。教育委員会や学校のアンケートでお願いしても何も変わらず。多様性の時代。どちらの手で書くかは本人が決めることでは》(「ちょっと子ばなし 右手で書写嫌がる息子」より)