文章を書くことを仕事にしたことで、大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。

最も希望しない部署に配属されたら、あなたならどうするか?Photo: Adobe Stock

一番嫌いだった会計に配属された脇若英治さん

 印象に残っている取材がたくさんあります。例えば、世界的なエネルギー企業、BP(ブリティシュ・ペトロリアム)の日本法人の社長をかつて務めていた脇若英治さん。早稲田大学商学部を卒業後、三井物産に入社、ハーバード大学でMBAを取得し、36歳でBPに転じ、52歳で日本人初のBPジャパンの社長に就任しました。

 商社を選んだのは、世界を飛び回ってバンバン活躍してみたかったから。ところが、入社日に配属を聞いたら、食糧会計部第二会計室でした。海外を雄飛するはずが、会計。これに激しいショックを受けるのです。

 振り返って、入社試験のときに聞かれたことを思い出したそうです。
「あなたが大学で一番嫌いだったのは何ですか」

 脇若さんは、ここで即座に「簿記です」と答えたのでした。この一言が、もしやつながったのでは、と感じたそうです。やりたくないことをやらされることになってしまったのです。

 しかも、動物のエサを扱う部門です。商社の華やかさはまるでなく、仕事の道具はソロバン。絶望的な気分になるのですが、少し経ってから気持ちを切り替えることになります。これも仕事ではないか、と。

 すると1年後、米麦グループの担当に代わり、米麦がいかに儲かるビジネスか、ということが会計の視点から見えるようになっていったのだそうです。これは面白い、と初めて思ったのです。

 会計、アカウンティングというのは、ビジネスの言語だったのだと脇若さんは語っていました。そのことに、次第に気づいていくのです。だからこそ、これを最初にやらせてもらったのは、振り返って本当にありがたいことだった、と。もともと嫌いだったのですから、なおさらです。

 新入社員時代に「嫌だな」と思った、この最初の配属の経験が、実は自分のキャリアの中でも最も重要なものだったと脇若さんは語っていたのです。

 その後、ハーバードビジネススクールに留学。2年後、ニューヨーク支店で業務部の勤務となり、そこでエネルギーの仕事に出会います。原油のトレーディングの仕事をするようになり、大きな利益を出していくのです。これが、BPからの誘いにつながります。天職となったエネルギーの仕事との出会いは、まさに偶然でした。

 脇若さんの若い人へのメッセージは、とにかく勉強すること、でした。何でも興味を持つ。くだらない仕事と思っても、必死にそれをやると何か動きが出てくる。自分も最初のアカウントの仕事をいい加減にやっていたら、今の自分はなかった、と。

 意に沿わない配属は、結果的にプラスになったのです。

※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。