もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。
それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。
1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。わかりやすいのは、1998年4月に静岡県熱海市が『おもてなしマニュアル~芸妓・ホステス編』を2000部作成して、芸者置き屋に配布したことだ。
2000年10月には京都商工会議所が中心になって、77の関連団体と設立した「観光サービス向上対策連絡会議」が、同じく接客のノウハウをまとめた『京のおもてなしハンドブック』を作成した。
この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。たとえば、2001年6月、静岡県下田市が観光業者を対象にした接客研修「下田市観光おもてなしプログラム」を実施している。
ここまで言えばもうおわかりだろう。今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ。
「おもてなし」が唱えられたのは
せいぜいバブル崩壊後のこと
さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。
平成24年度の『観光白書』の中に、バブル崩壊後、経済の冷え込みで観光業が厳しい状況に陥ったことが、データで語られているので引用しよう。
《国内宿泊観光旅行1回当たりの国内宿泊観光旅行の平均費用額を見ると、平均費用額が最も高かったのはバブル期であり、20代の1回当たりの旅行の平均費用額は1986年には約4.5万円であったが、バブル崩壊後の1998年には約3.3万円にまで落ち込んだ》