中学時代の成績は
170人中160番前後

 灘校に入ってわかったことがもう1つありました。それは、世の中にはとんでもない頭脳の持ち主がいるという事実です。超がつくほど頭がよく、1を聞いて10を理解してしまうレベルの人たちがいるんだ――。

 こういう人たちが、もちろん学年トップになるわけですが、では彼らは医学部に行くのかというと、必ずしもそうではありません。法曹界を目指したり、数学者を志したりする生徒のほうが多いかもしれません。

 灘高の卒業生の半分は東大に進みます。8割は、東大か京都大学か、その他の大学の医学部に進む、という感じです。私が東大に進学したのも、そういった雰囲気についていくことがなんとかできた、それだけの話です。

 だからといって、「みんなで東大に行こう」というような空気があったわけではありません。灘校は、同調圧力のようなものがはなからないのです。個々人の価値基準が明確だったからかもしれません。

 ただ、いい意味でも悪い意味でも、スポーツができるよりも、容姿がかっこいいことよりも、試験の点数が高い人が一番えらいという雰囲気はありました。入学時に何番で入ったかもわかりました。1学年3クラスありましたが、1年1組の級長は入学試験の上から1番、2組は2番、3組は3番の生徒が務めるしきたりでした。そのくらい、はっきりとしていました。

 定期面談では「多田君のこの前の試験は、○番でした」と伝えられていました。告白しますが、中学校では私の成績は170人中、160番あたりをウロウロしていました。

「人は誰でも、無能になる」
高校生でピーターの法則を体得

 生徒が2000人以上いた小学校では1、2位の成績でも、灘中に入れば並以下、ほぼ最下位になる――。厳しい現実は、私に「物事を割り切って考える」ことを教えてくれたような気がします。

 灘高でトップだったとしても、東大に入れば並以下かもしれません。さらにその先、それこそ世界に出ていったらどうでしょう。東大も世界の大学ランキングでは30位前後であることを考えると、並以下になります。