今の東大理3の定員は97人ですが、当時は80人でした。考えてみれば、灘高の試験でも80番なのに、定員80人しかいない東大理3を「受けていいよ」というのですから、先生も思い切ったものです。簡単にダメ出ししたりはしない、可能性はあるのだからやってみなさい、という空気がつねにありました。そういう教育をしてもらえたことは、私にはとてもよかったと思っています。

模試「E判定」から
東大理3に見事合格

 ところが、高3の10月に河合塾の模試を受けたところ、東大理3の合格率が「E判定」で返ってきてしまったのです。Eというのは合格率20%のレベルです。

 ただこのときも、あまり気にしませんでした。現役生ですから、浪人生と比べて勉強する時間が足りていないのは当然でしょう。試験までまだ3カ月弱もあります。今からがんばれば問題なく間に合うし、大丈夫だと思っていたのです。

 もちろん単に「なんとかなるさ」ではなく、「やるべきことはやって」が原則です。実際そこから、東大の過去問題集に徹底的に取り組みました。3カ月弱で、過去問を30年分くらいは見たでしょうか。

 いろいろな方が「受験は要領」というテーマで本を出されていますが、大学受験というのは、決められた範囲内で、しかも一定のルールがある中で点数を競うゲームのようなものです。英単語6000語をそらんじているとか、数学の公式を300パターンくらい覚えているといったテクニックとノウハウがものをいう世界であるように思います。

 私はそのあたりに長けていたのでしょうか。最終的には、無事に現役で合格することができました。

 私の学年では灘高から16人が東大理3を受け、全員が合格しました。当時としては最高記録だったようです。

 考えてみれば、定員80人のところに16人が灘校生というのは、すごいことです。口には出さなくても、みんながんばっていたんだな……と思ったものです。