「人は誰でも、無能になる」という「ピーターの法則」がありますが、私は16~17歳でその法則を体得してしまったわけです。ほかの灘高生のインタビューで「灘中に入ったときが人生で最高の瞬間だった」と話すのを読んだこともあります。

 とはいえ、別にくさっていたわけではありません。今は160番近辺でも、最終的には6年間トータルの結果が大事であって、「次は大学受験でがんばればいい」くらいに思っていたのです。

 高校に入って少しずつギアが入っていきますが、それでも自分の周りと比べると胸を張れるような成績だったわけではありません。私よりもはるかに成績がよかった同級生からすれば、「自分よりもはるか下だった多田が、どうしてユニコーンスタートアップを目指せるのか」と不思議がっているかもしれません。

簡単に見放さなかった
灘校の先生たち

 ありがたかったのは、ひどい成績を取っても、担任の先生から見放されることはまったくなかったということです。中学でビリに近い160番を取っても、「お前はダメだ」と言われたことは一度もありません。同級生たちから「あいつはダメだ」というレッテルを貼られたり、学内にいづらくなったりすることもいっさいありませんでした。

 当時、灘校の先生は、20年前後の経験を積んだベテラン教師がスカウトされて入ってきていました。いうまでもなく、優秀な先生方です。

 加えて、灘校では、担任が中高6年間変わりません。同じ顔ぶれを中高6年間指導して、卒業すると1年休んで、また新たな顔ぶれと6年過ごします。仮に40歳くらいで灘校に来たとして、生涯で3つ程度のクラスしか受け持てないのです。

 そういう背景もあって、一人ひとりを本当にしっかり見てくれる先生ばかりでした。

 私が東大、しかも医学部である理3を目指したいと先生に伝えたのは高校3年のときでしたが、「まあ、通る可能性はあるから、受けていいよ」という返事でした。そのときの成績は220人中80番くらいになっていました。