他人に勝つより
自分に勝つほうが難しい

 実は、大学在学中に1つの転機となる出来事がありました。両親が離婚したのです。

 親の扶養義務は20歳までですから、私は学費をすべて自分で稼がなければならなくなりました。授業を受けながら、アルバイトをする日々が始まりました。

 大学に事情を説明すると、奨学金の手続きを進めてくれて、幸い学費は払わなくて済むようになりました。ただ、医学部では教科書代だけでも月に数万円かかります。医学書は1冊の値段が高いのです。生活費も含めると、月10万円以上はアルバイトで稼ぐ必要がありました。

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」と頭を抱えました。それでも、自分と周りを比べることはありませんでした。

 正確には、比べることによっていい思いをすることはないとわかっていたので比べなかった、というべきかもしれません。

 人と自分を比べて、「自分のほうが勝っている」とか「自分のほうが楽だ」と感じて優越感に浸れるのなら、比べる意味もなんとなくわかります。そうではなく、うすうす「自分のほうが劣っている」「自分のほうが大変だ」とわかっているのに、わざわざ人と比べるなんて、何と無益で無駄なことではないでしょうか。

 そうした態度は灘校や東大で身についたのかもしれませんし、振り返れば、子どもの頃からそうだったのかもしれません。

 一時期、父の仕事の都合で、団地に住んでいたことがあります。そこは住人2000人ぐらいに対し、スーパーが1軒しかありませんでした。そういった小さなコミュニティでは、「○○さん家は今日、お肉を買った」とか、「魚を買った」とか、それすら噂になるのです。子ども心に、「なぜそんなに細かいことを比べるのだろう」「そんなことを比べてもいいことなんてないのにな」と感じたものです。

 今も昔も、多くの人が隣ばかり見て、隣と比べてばかりいる印象があります。そのせいで、つい、みんなと同じ選択をしてしまったり、意に沿わない行動をしてしまったりする人も多いように思います。でも私は、隣を見たり、隣と比べたりすることに意味をまったく見出せないのです。