戦艦群のイラスト写真はイメージです Photo:PIXTA

今では南西諸島で採れる農作物が日本全国に流通するようになったが、数十年前までは植物防疫法により、害虫の寄生する農作物の移動は禁止されていた。1950年代から60年代にかけて小笠原や沖縄など幅広い範囲で被害をもたらしていた特殊害虫「ミカンコミバエ」に、人間はいかにして立ち向かったのか?アメリカ、日本、両国の垣根を超えた人類とミカンコミバエの根絶戦史の発端に迫る。※本稿は、宮竹貴久『特殊害虫から日本を救え』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

ミカンコミバエのオスだけを
圧倒的に吸引する物質があった

 1950~60年代、ミカンコミバエは沖縄、奄美諸島と小笠原に侵入して蔓延し、ウリミバエも先島諸島(八重山諸島と宮古諸島)に侵入していた。農作物に重大な被害をもたらすミバエ類が、本土に侵入し定着するのを防ぐため、農林省は植物防疫法で、これらの島々からミカンコミバエの寄生する果物や野菜の移動を禁止していた。

 日本における特殊害虫戦記の歴史は、ミカンコミバエからスタートする。ミカンコミバエには、オスを強く誘引する物質メチルオイゲノールがある。すべてのオスがこの物質に誘引されてしまうため、オスを消してしまうことができるのだ。オスを消すとは、いったいどういうことだろうか?

 メチルオイゲノールはミカンコミバエを根絶するために開発された物質ではない。この秘薬の発見は1912年のインドにまで遡る。この年、インドでハウレットというイギリスの昆虫学者にこんな話を持ち込んだ近所の人がいた。シトロネラという名のイネ科植物の葉から採れる精油(香料)をハンカチに吹きつけると、ハエがたくさん集まって来るというのだ。これを聞いたハウレットは、そのハエがミバエの仲間だと知って、もしこれを使って害虫のミバエのメスが集められるなら防除に使えると期待した(以下、小山重郎『よみがえれ黄金の島』筑摩書房 参照)。

オスをすべて取り除けば
メスは卵を産めなくなる

 果実畑でシトロネラ油を含ませたハンカチを振ると、実際にたくさんのミバエが集まって来た。期待に胸膨らませて彼が実験室に持ち帰ったミバエは3種いたが、なんとすべてオスだった。ハウレットはがっかりしたが、その後も研究を続け、シトロネラ油のなかに含まれるメチルオイゲノールを、ミカンコミバエのオスを誘引する物質として特定した。