根絶作業が完了した瞬間から
再侵入を防ぐ戦いが始まる

 さて、ロタ島でのテックス板の効果はみるみる現れた。ミカンコミバエの数はどんどん減り、翌1963年4月に、罠で1匹のオスが見つかったのを最後にミカンコミバエはいなくなった。そしていくら果実を採集してきても、そこから幼虫は飛び出して来なかったのである。害虫を駆除するには、当時から農薬散布が主流だったが、誘引剤によるこの根絶法は、誘引される対象の種だけをターゲットにして駆除できる。そのため天敵を含め他の昆虫や生物も殺してしまいかねない殺虫剤の散布に比べ、圧倒的に環境に優しい害虫防除法といえる。

書影『特殊害虫から日本を救え』(集英社新書)『特殊害虫から日本を救え』(集英社新書)
宮竹貴久 著

 ロタ島での成功によって、1964年からアメリカはマリアナ諸島のサイパン島、ティニアン島、アギガン島でのオス除去法を進め、1965年5月にはこれらすべての島からミカンコミバエは消えた。スタイナー博士はロタ島の根絶を1965年に、4つの島からの根絶を1970年に、アメリカ昆虫学会の発行する専門誌に報告した。これらの報告はわが国の農林省の目にもとまった。そして日本への返還作業が進んでいた南西諸島のミバエ類の根絶事業が水面下で動き出す。

 ちなみに、その後マリアナ諸島には、再びミカンコミバエが侵入し、何事もなかったかのように繁殖している。ミカンコミバエは自力で太平洋の諸島に飛んで来ないため、観光客が寄生した果実を安易に持ち込んだのであろう。アメリカ政府は、これらの事業を実験と位置づけていたため、根絶後、再侵入を防ぐ計画はなかったのだ。

 今の日本の状況を見て実感できることなのだが、根絶事業は根絶を達成した後が、実はもっとも大変で、再侵入を許さないための終わりなき戦いに突入するのである。