ハウレットの実験から年を経た1946年に、ハワイ諸島でミカンコミバエが見つかり、すぐさま蔓延してしまった。アメリカ農務省(USDA)が管轄するハワイのミバエ研究所に着任したローレン・フランクリン・スタイナー博士(1904~77)は、メチルオイゲノールがオスを強力に誘引することを評価し、殺虫剤と混ぜて野外におくことでオスの数を減らせないかと考えた。

 オスが減ればメスも交尾する相手がいなくなり、被害を軽減できるに違いない。そればかりか、さらにオスをすべて取り除くことができないだろうかとも考えたのだ。これが根絶という発想のはじまりだろう。

 1951年から52年にかけてハワイ諸島のオアフ島の試験地で、メチルオイゲノールと殺虫剤を混ぜた液体を内側に塗りつけた箱を50個並べ、毎週1回、薬剤を取り換えた。この実験で300万匹のオスのミカンコミバエを誘殺できたことで、試験地にある果実の被害は確実に減ったのだった。

 この実験成功を受けて、スタイナー博士らはハワイ諸島のなかでもっとも大きなハワイ島で、1952年から53年にかけ大規模な実験を繰り返した。このときメチルオイゲノールと殺虫剤をしみ込ませた25センチ四方、厚さ2センチのテックス板を、試験地の樹木の枝から吊り下げた。毎月この板を交換したところ、試験前はたくさん生息していたミカンコミバエが、数カ月後には試験地区にあったグアバの実から幼虫が見つかることが非常に少なくなり、オス成虫はほぼいなくなった。

ミカンコミバエのメスとオス同書より転載

 博士は考えた。誘引剤でミカンコミバエのオスはほとんどいなくなったのに、幼虫が果実のなかで見つかるのは、試験地以外から交尾をしたメスが飛んで来て卵を産むために違いない。だとすると、まわりから新たにメスのハエが飛んで来ない隔離された場所にテックス板を吊り下げると、その場所にいたすべてのオスは罠にかかって死ぬ。オスが消えれば交尾相手のいなくなったその場所のメスは子どもを残せず、ミカンコミバエを根絶できるのではないか。

小笠原諸島のミバエ根絶作戦に
アメリカ軍が投入された

 1960年9月、アメリカ軍の占領下におかれていた小笠原諸島で、スタイナー博士の指導のもと、メチルオイゲノールによるミカンコミバエの根絶作戦がはじまり、米海軍の飛行艇からテックス板が投下された。