【19】1931年
世界恐慌でデフレ不況到来
金輸出は再禁止へ

 結果から言うと、金解禁で好景気は訪れず、その後の国内・国際情勢の展開も含め、歴史的には失敗政策に終わる。

 とりわけ、新平価に比べ円高水準だった旧平価での解禁が裏目に出た。米国発の世界恐慌で欧米諸国が不況となり消費が減少し、輸入が落ちると、さらに円高が進み、日本の輸出が減るという悪循環となった。また井上は日本製品の国際競争力を高めるべく物価引き下げ策、すなわちデフレ政策をとっていたが、株式市場も商品市場もさらに暴落した。濱口内閣が成立して以降、物価は24%も下落し、多くの企業が業績不振に陥るデフレ不況に突入した。

 また、農村の貧困も問題となり、満州など中国大陸を新天地として進出しようと考え、軍事費増強を訴える軍部の発言が強まっていき、1931年9月に満州事変が勃発。さらに同月には英国が金本位制から離脱したことで、金解禁と緊縮政策の見直しが叫ばれるようになる。

 こうした中、「ダイヤモンド」も31年11月臨時増刊「財界はどうなる・会社はどうなる」を刊行し、金再禁止とインフレ政策の実施を主張した。発刊の辞にはこうある。

1931年11月臨時増刊「財界はどうなる・会社はどうなる」1931年11月臨時増刊「財界はどうなる・会社はどうなる」
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『英国の金本位制停止は、世界の経済界に異常なる衝撃を与え、波紋は拡大して、これに倣うものが早くも十数カ国の多きに達した。金の旧平価解禁に世界的不景気の深化により、すでに死線に彷徨しつつあるわが産業界は、新たにポンド価の下落に当面し、今や容易ならざる危機に露出されている。
 情勢かくなりては、我邦に於いても、産業擁護のため、何らかの策を講ぜばならぬ。近頃金再禁止の要望が高まりつつあるのは、他面に於いて、その苦痛を訴える痛切な叫びだと言うことが出来る。金の再禁止については、今は是非論が戦わされているが、四囲の情勢は、到底避けることの出来ない必至の運命とも見られている』

 同号が発行された翌月、犬養内閣で再び蔵相となった高橋是清は、直ちに金輸出を再禁止し、日本は管理通貨制度へと移行した。そして、デフレ政策から一転、積極財政をとり、軍事費拡張と赤字国債発行によるインフレ政策にかじを切った。

【20】1932年
血盟団事件、五・一五事件
政財界要人を狙ったテロの続発

 高橋蔵相による金再輸出禁止とインフレ政策によって、日本経済は急速に不況から脱出する。しかし、世間の不穏な空気はなかなか去らなかった。

 1931年9月に英国が金本位制から離脱した際に、三井銀行、三菱銀行、住友銀行といった大手財閥系の銀行が巨額のドル買いを行った。英国同様、日本が金輸出を再禁止すれば円相場が暴落すると予測し、今のうちに円を売ってドルを買い込み、再停止後に円買い・ドル売りを行って利益を得ようという思惑からだ。この行動に、世間は「国賊」などと非難の声を浴びせた。特に批判の矢面に立ったのが三井財閥で、「三井銀行のドル買い事件」と呼ばれる。

 32年2月、一人一殺主義を唱える右翼テロ組織「血盟団」によって井上準之助が暗殺される。さらに翌月、三井財閥の本社、三井合名の理事長である団琢磨も暗殺された。

 血盟団事件は、政財界の要人を排除して軍部中心の国家に改造しようとする勢力に大きな影響を与えた。同年5月15日には海軍の青年将校らが首相官邸、日本銀行、警視庁などを襲撃し、犬養毅総理を射殺するという五・一五事件が起こる。

 32年5月21日号の「財界概況」欄では「不祥事件の続発」というタイトルで、こう警告している。

1932年5月21日号「財界概況 不祥事件の続発」1932年5月21日号「財界概況 不祥事件の続発」
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『井上、団氏の遭難以来、私に懸念されていた右傾団体の活動は、去る15日夕刻、現役陸海軍人等の直接行動となって現れ、犬養首相は第三次の犠牲者となり、内府官邸、日本銀行、政友会本部等の公私建造物も投弾によって、若干の損傷を被った。その結果、高橋蔵相を臨時首相とせる政友会内閣は、総辞職を決行し、政局は再び不安に襲わるるに至った。
 満州事変の勃発以来、国民の思想は著しく右傾し、ファシズムへの転化は、時の問題に過ぎずと言われている。対外重大時局の展開に際して、かような傾向が現れるは、各共通の現象であり、これをファッショ化の前提と見るは、必ずしも妥当でない。ただ、この興奮状態が長く続く場合、即ち対外葛藤が容易に解決されない場合には、左様な結果を生ぜないとは断ぜられない』

【21】1933年
国際連盟からの脱退
日本は国際社会から孤立へ

 満州国建国に反対の立場をとっていた犬養毅が暗殺され、代わって発足した斉藤実内閣は挙国一致を掲げて、軍部、官僚、政党の各勢力を均衡させたかたちで組閣された。大正デモクラシーで始まった政党政治が終焉(しゅうえん)し、ファシズムへの道を歩んでいく。

 その大きなターニングポイントが、国際連盟からの脱退である。満州事変における日本の中国に対する侵略行為に対して、33年2月、国際連盟総会はリットン調査団の報告書に基づき、満州国の不承認と日本軍の撤兵を求める勧告を全会一致で採択した。出席していた日本の全権大使、松岡洋右は「このような勧告案は受け入れられない」と宣言して総会を退場。日本は国際連盟からの脱退を決めた。こうして日本は国際社会から孤立を深めていく。

 その直後の33年3月1日号で、「連盟悪化と会社の影響」との記事が掲載されている。株式情報誌として、まずは「国際関係の悪化に刺激される株式」という視点での分析だ。

1933年3月1日号「連盟悪化と会社の影響」1933年3月1日号「連盟悪化と会社の影響」
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『連盟脱退決定から列国との折合は一段悪化する形勢となった。気の早い株式市場には軍需株が盛んに物色され出した。
 株式界では新潟鉄工、戸畑鋳物、石川島造船、浦賀船渠などをいわゆる軍需株と見ている。これに続いて日本石油、石炭等も物色されており、最近だいぶ色めいて来た。
 インフレ政策は軍需品景氣から……この際、軍備の充実を図ることは何人にも異存あるまい。軍需品は直接陸軍、海軍の手に渡されて消費される市場を圧迫する心配はない。もし一般商品を造り溜めするとすると、後日、供給過剰を惹起して収拾し難いものになる。軍備の充実にはその心配がないから、この際軍需品工業を活気づけることは当を得た政策と思われる。
 連盟脱退から起こる最悪の場合を予想すると、軍需品工業はいよいよ大切になる』

 このように、国際的な孤立がやがては戦争にまで発展しかねないということを極めて冷静に分析している。