1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第16回は平成前期、1993~96年までの4年間だ。
【81】1993年
大蔵省と銀行が先送りした
住専危機の底知れぬ闇
日本で住宅金融専門会社(住専)が設立されたのは1971年、三和銀行(現三菱UFJ銀行)などが出資する日本住宅金融が最初で、79年に農林中央金庫、JAバンクが出資する協同住宅ローンが設立され、計8社となった。当時の銀行は、小口で事務手続きが煩雑な個人向け住宅ローンには消極的だったため、大蔵省の主導の下で別会社化されたのだ。
だが、やがて母体となった銀行や政府系の住宅金融公庫(現独立行政法人住宅金融支援機構)も住宅ローンに注力し始めたため、住専は本来の個人向けでなく不動産業など事業者向け貸し付けに軸足を移していった。90年の住専の個人向け住宅ローン貸し付けは2兆8000億円余りに対して、事業者向けは10兆円を上回っていた。
さらに90年3月以降の不動産業等への融資を規制する総量規制では、住専と農協系金融機関は対象外とされたため、穴を突く形で住専は事業者向け融資を増加させていった。特に農林系の協同住宅ローンの増加ぶりは大きく、90年の2兆9027億円から93年には5兆5977億円と、融資を急膨張させていた。
バブル崩壊の地価下落で、それらはことごとく不良債権化していき、住専各社は軒並み経営危機に陥った。93年2月時点で、最大手の日住金は債務超過となっており、金融システム不安の震源地となっていた。大蔵省は母体9行に対し、日住金への貸出金利を減免する再建計画を提示し、合意を求めた。