111年111本 厳選記事でたどる激動の日本経済史【ダイヤモンド111周年~昭和後期 4】Photo:Bloomberg/gettyimages

1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第14回は昭和後期、1985~88年までの4年間だ。

【73】1985年
バブル経済への入り口
過小視されていた「プラザ合意」

 1985年9月22日、米国、日本、西ドイツ(現ドイツ)、フランス、英国の先進5カ国の蔵相と中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル売りの協調介入を行い、ドルの価値を引き下げることに合意した。いわゆる「プラザ合意」である。

 80年代初頭の米国は、高いインフレ率と貿易赤字に悩まされていた。米国政府はドル安を実現することで輸出を促進し、貿易赤字を縮小することを目指した。各国も、かつての「ドル危機」の二の舞いにならないよう、金融政策を協調して行うことで、為替相場の安定化を図ることにしたわけだ。

 85年11月9日号では「大波乱!世界マネーマーケット 為替/金利/株式/債券/先物/金はどうなる」と題した特集で、急速に進むドル安円高の行方を占っている。

 実際、プラザ合意後、ドルは急速に下落し、円やドイツマルクなどの主要通貨が大幅に上昇した。プラザ合意の直前、1ドルは242円だったのが、わずか2週間後には1ドル=212円前後で、12%以上もドル安が進んだ。ここまで急テンポのドル安円高は、71年8月のニクソン・ショック以降のドル安進行の局面でも見られなかったものだ。