111年111本 厳選記事でたどる激動の日本経済史【ダイヤモンド111周年~平成前期 4】Photo:Koichi Kamoshida/gettyimages

1913年に(大正2)に創刊した「ダイヤモンド」は、2024年に111周年を迎えた。そこで、大正~令和の日本経済を映し出す1年1本の厳選記事と、その解説で激動の日本経済史をたどる「111年111本」企画をお届けする。第18回は平成前期、2001~03年までの3年間だ。

【89】2001年
副作用の痛みを伴う“劇薬”
「小泉構造改革」スタート

 2001年4月に発足した小泉純一郎内閣は、85%という歴代最高の支持率を背景に、日本経済の構造改革を断行した。小泉首相は「改革には痛みが伴う」と訴え、既得権益に対抗する姿勢を強調した。

「小泉改革」と呼ばれる一連の改革は大きく「産業構造改革」「財政構造改革」「社会保障改革」の三つに分けられる。「産業構造改革」では日本経済の活性化を阻んでいる「不良債権」と「規制」の二つを消滅させることで、産業再生を図ると掲げた。不良債権の最終処理を通じて失業という痛みは生じるが、規制改革によって新産業を創り、雇用を生み出し、次の成長を支えるという計画である。

「財政構造改革」では、不合理さと硬直性が指摘されて久しい国と地方の財政構造にメスを入れた。財政投融資、特定財源、地方交付税交付金を入り口に、さまざまな思惑と利権が複雑に絡み合う特殊法人の統廃合、市町村合併、公共事業の見直しといった荒療治に踏み込んだ。

「社会保障改革」は財政構造改革にも密接にかかわる。医療保険制度と公的年金制度はともに財政が悪化し、改革が避けられない情勢にあった。しかしそれは、国民の個人の生活と生命にかかわる重いテーマである。