侍の家に生まれたら代々ずっと侍、農家に生まれたら代々ずっと農民ということで、社会的な流動性というものはなかった。ところが明治時代に入ってこの身分制度が撤廃されると、たとえ農家に生まれても、その人の志と能力次第で政府の主だった役職に就けるようになった。

 265年もの間続いた封建制が崩れ、急に「立身出世」が可能な世の中になったわけだ。日本において、自己啓発思想が生まれ、自己啓発本が書かれる下地ができたのは、まさにこの時である。

 つまり、宗教的な理由であれ、政治的な理由であれ、社会的流動性が閉ざされた時代が長く続いた後、何らかの理由でその禁制が解かれ、個々人の努力次第でいくらでも出世ができる世の中に急激に変わった時に自己啓発思想/自己啓発本が誕生する契機が出てくるのであって、そういう条件が揃っていたのが、片やアメリカであり、片や日本であった、ということなのだ。自己啓発本がアメリカと日本でのみ栄える理由がここにある。

日本で最初の自己啓発本は
福沢諭吉の『学問のすゝめ』

 かくして明治時代に入った日本で社会的流動性が生まれ、それと同時に自己啓発思想/自己啓発本が生まれる契機が生じた際、この状況に最も早く対応したのは、誰あろう、かの福沢諭吉であった。

 福沢はこの機に応じて『学問のすゝめ』(1872一76)をものし、この中で「人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」(『学問のすゝめ』、12頁)と明言した。人は誰でも学問をしさえすれば出世できる、と言い切ったのだ。

 ベンジャミン・フランクリン同様、福沢もまた自助努力こそが出世の道だと説き、その具体的なノウハウとして「学問すること」を人々に勧めたのである。その意味で、フランクリンの『自伝』がアメリカ初、そして世界初の自己啓発本であったように、福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、日本における自己啓発本の嚆矢であったと言っていい。