全く話は変わりますが、私は女子大の授業で最初に自分の結婚式の話をします。私の結婚は早かったのですが、「それは妻が年上で、クリスマスケーキにならないうちに結婚したかったからだ」(真相はもう少し複雑ですが)と説明すると、彼女たちはポカーンとしています。12月24日を過ぎれば売り物にならない、賞味期限切れ――。当時の女性はそうだったと説明すると、始めて驚き、怒り出します。「そんなひどい時代があったのですか?」と。

あり得ない時代錯誤が
いまだに人々の心に生き続ける

 もちろん、そんな習慣はだんだんなくなり、男女雇用機会均等法の導入をきっかけに、一気に女性の結婚時期は遅くなりました。しかし、そのころは会社で平気で「行き遅れ」といった、今ではあり得ない差別語が飛び交っていたことも事実です。

 その次にきたのは「寿退社」の絶滅です。当時は結婚したら、妻の方は会社を辞めるのが普通でした。たとえば出版社の場合、一人前に編集者として仕事をし、人脈もノウハウも獲得した社員を結婚という理由だけで失うのは、経営的にも愚かな行為のはずですが、当時の中高年男性は寿退社をしない女性を忌み嫌いました。

 私は時代の流れに敏感な方でしたから、社内結婚をしても辞めない初のカップルの仲人を2組しました。女性の一人は四大卒、一人は短大卒ですが、どちらも優秀な人材です。辞める必要などどこにもないので夫婦の背中を押しましたが、経営陣は怒り心頭。のちに雑誌協会会長になった当時の人事局長は、女性の直属の上司であったのに結婚式を欠席しました。それが彼の矜持だったようです。人事担当者でありながら自分の部下の結婚をなぜ祝えないのか、私には理解できませんでした。

 時代は変わりますが、その変わり目に気付かず、時代遅れのスローガンを叫んで恥じない人も必ずいます。いや、今でも「マタハラ」という新しいハラスメントが登場しています。人として大事にしなければならないことがわからない人間は、本当に大勢います。

 本当は松本問題も、それを軸にからかうような記事にすべきでした。すでに彼の芸自体が時代後れです。自分は何もせず、立場の弱い後輩にとんでもなく恥ずかしいことをやらせてゲラゲラ笑うというイジメの一種の芸風は、まだ一部の人々には面白いのかもしれませんが、私は昔から面白いと思ったことはありません。文春は本当は、そういう文化論も含めて松本氏に対して反省を求める記事を書くべきだったと思います。

(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)