今日、大谷翔平選手に象徴される日本野球のメジャー進出を見ていても、野村監督の指摘が正しかったことがよくわかります。当時のヤクルトの4番打者は星野監督と同じ明治大学出身の広澤克実氏。彼は明治大の時代から、ビンタ野球、ケンカ野球に慣れているので、次は打者の内角に当てにくるという予想サインを野村監督あてに出していたそうです。

 1990年というと30年以上前になりますが、当時騒いでいた若者も今は50歳以上の中高年。あの時期は、何の考えもなく老若男女が「鉄拳制裁」を支持していましたが、もちろん今は大人になって、さすがにそんなことは言わないでしょう。しかし、心の中ではまだ「殴ってやった方が若者はよくなる」と本気で思っている人がいると私は思います(岐阜の大学に通っていましたから、本当にまだまだパワハラは残っていると実感します)。

 しかし、今世間で「鉄拳制裁」などと言おうものなら、「常識のない人」「人間としておかしい人」と見られます。いや、実際おかしいのです。実際おかしいと反省した人はいいのですが、反省していない人がまだ一部いる。それを言うのが格好悪いことだと当時はわからなかった。今はわかるようになっただけで、内心は変わっていない――。そんな人がまだまだいると思います。

 逆に、鉄拳制裁なんていけないと思っている人もいたと思いますが、大勢の雰囲気の中でそれに反対することを言えなかった人ももちろんいたでしょう。とにかく、2020年代の今では、バンテリンドームに「鉄拳制裁」という旗は立っていないので、それだけでもマシになったのかもしれません。

昭和の「鉄拳制裁」と
令和の「不同意性交」の根は同じ

 実は、この「鉄拳制裁」ブームと同じことを松本人志問題にも感じます。「不同意性交」という犯罪は、かつては男性において「嫌よ嫌よも好きのうち」という都合のいい論理で成り立つ性的暴行やストーカー行為につながっていました。そして、同意があったかなかったかは別にしても、権力を利用して知らない女性を集め、携帯を取り上げて、部屋に権力者と二人きりにするパーティーを開いていたこと自体が、もはや時代に合わない「鉄拳制裁」ブームと同じことだということがわかっていない人間が、大阪にも東京にも大勢いるということが、この問題の本質ではないでしょうか。

 それが、松本人志氏とその取り巻きにはわからない。テレビ局もわからない。そして松本ファンにもわからない――。ジャニーズ問題のときもそうでしたが、自分がそんな目に遭ったらどんなにイヤかということに想像が至らない人間が、これほど多いのかと考えてしまいます。松本びいきなのか、週刊誌が嫌いなのか、どちらかはわかりませんが、SNSの世界には人間として恥ずかしい論理を堂々と言っている人々が数多くいます。