【40】1952年
不徹底に終わった財閥解体
国際競争力強化に向け再結集へ

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は、経済の民主化と独占の防止を目的に、財閥解体を命じた。

 まずは三井、三菱、住友、安田、富士(中島飛行機)の五大財閥の解体を指令した。続いて、渋沢、大原、野村、辰馬、日産、川崎、浅野、日窒、古河、大倉、理研、日曹等々、財閥の解体はさらに広範囲に及んだ。また財閥の解体と並行して持株会社整理委員会が設立され、これら財閥の所有する有価証券は政府の手に収められた。

 これらの施策は、財閥による経済支配を排除し、公正な競争環境を作ることを目指したものだ。また、財閥と軍部や政界との結びつきを解き、軍需産業などの重工業への経済力集中を解消し、平和的な経済発展を促す目的もあった。

 しかし冷戦の影響や朝鮮戦争の勃発を機に、米国は日本経済の早期再建を目指し、強力な産業基盤の再構築を優先することに政策の軸を移したため、財閥解体は不徹底のままに終わる。そして、51年に日本が“自主独立”を手にし、占領下に取られた経済政策が見直される中、完全に終了することとなった。

 1952年5月1日「戦後経済・7年の総決算」の中では、「財閥解体――行き過ぎで経済力弱化 今後は漸次是正の方向へ」との見出しで振り返っている。

 財閥解体の狙いが、経済の民主化にあったことは言うまでもないが、半面、財閥解体によって被った不利益や不便も多々あると、記事では指摘している。特に、「財閥の解体で最も打撃を受けたのが貿易部門であり、日本経済の自立が貿易にある以上、経済的に大きな弱点となっていることは否定できない」と述べている。

1952年5月1日「戦後経済・7年の総決算」1952年5月1日「戦後経済・7年の総決算」
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『大資本を有する企業が、あらゆる点において小資本の企業にたちまさるのは事実である。
 しかも、金融資本を中心に、あらゆる産業分野にわたって、資本的に密接な連ながりをもった経済組織が、有利であり、且つきわめて合理的なものであることは否定しがたいところである。
 その故にこそ、三井物産、三菱商事があれだけ大きく世界市場において活躍できたのである。
 ところが、財閥解体における群小商社ではどうだろう。なにしろ金がない、人がない、連ながりあるメーカーがない。ないないずくしで、結局、商売も成り立たないときている。
(中略)
 財閥の解体も、私的な家族的支配の排除のみに止めておいたならば、ある意味では、わが国の経済復興も、より早くなされたのではないか、とも思えるのである。
 したがって、今後国際競争場裡に立ち向っていくためには、ある程度の独占、集中化は当然容認されていいのではないか』

 財閥解体によりバラバラになった企業の一部は再編され、新しい形で経営されることとなった。三井や三菱などの企業グループは再集結を果たし、多角化経営やグローバル展開を通じて、経済成長に貢献していった。