もっとも、目次を見れば「アジア貿易は結局好転」「朝鮮戦争は日本のプラス」「株は戦争需要で立ち直る」「朝鮮事変は株式の好材料」といったタイトルも躍っている。独自の論考や識者の寄稿を集めた特集全体では、好影響を期待する論調のほうがむしろ大勢を占めている印象だ。

 実際は、米国はこの戦争で日本を軍需物資や補給品の供給拠点として利用した。大量の注文が日本企業に入る特別調達需要(特需)が生まれ、特に鉄鋼、造船、機械、化学工業などが大きな恩恵を受けた。この一連の需要は「特需景気」と呼ばれ、安定恐慌の状況にあった日本を救うことになる。

 国内外に多大な犠牲を強いた悲惨な戦争の反省から、二度と戦争はしないと誓ったわが国が、隣国で起きた戦争に間接的に加担することで息を吹き返すというのは皮肉なものである。

【39】1951年
“自主独立”した日本
復興途上で残る不安

 朝鮮戦争において米国は、日本を物資供給や兵站(へいたん)拠点として利用した。日本は米国の対共産圏戦略の前線基地となり、西側諸国の一員という国際社会での地位を固めていく。それが、1951年9月のサンフランシスコ講和条約で、日本が主権を回復し、独立を果たすことにつながっていく。

 連合国の占領から解放され独立を獲得した日本は、経済再建と成長に向けて本格的に取り組み始めるのだが、講和直後の51年9月1日号に組まれた「講和が招く経済不安」特集では、決して先行きを楽観していない。

1951年9月1日号「講和が招く経済不安」1951年9月1日号「講和が招く経済不安」
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『日本人は何か口実を設けてはお祭騒ぎをやりたがる。よほどお騒ぎの好きな国民らしい。だから、お祭向きのことなら、それがどんな性質のもので、どんな結果をもたらすものかということを静思する前に、無性に提灯行列がやりたくてたまらない。
 講和会議の問題にしてもそうである。日本は敗戦国だ。講和条約は有史以来の寛大な条約かも知れぬが、それにしても日本にとって大きな負担を課するものであることは、経済関係条項一つみても、明瞭である。
 この際、われわれはお祭騒ぎどころか、沈思黙考して、講和後の重大時局に対処する決意をかためることこそ大切であろう。
 そういう意味から、われわれは講和に伴って生じてくる経済問題を考察し、それが日本経済の上にどんな影響を与えるかを検討することにした次第である』

 不安視の根拠について詳細に興味のある読者は別途用意してある記事PDFをご覧いただくこととして、ここでは見出しのみを紹介すると、「インフレの危険いよいよ強まる」「苦しい賠償支払い」「悩みの種の外債処理」「制約の多い貿易自主権」「実益の少ない通貨基金加入」「促進される外資導入」といった具合だ。

 確かに、戦争で破壊されたインフラや産業基盤の再構築は途上だったし、資源や原材料の多くを輸入に頼らざるを得ない状況も変わらない。日本企業はまだ技術力や生産性の面で先進国に後れを取っており、国際市場で競争力を高めるためには技術革新や生産性向上が急務でもあった。

 その意味で、日本は“自主独立”に不安はあったのは事実だ。しかし結果的には、安全保障条約を通じた日米間の緊密な関係の下で、米国からの資本や技術を積極的に導入でき、防衛費を抑えつつ経済に力を注いでいくことができた。その後の高度経済成長期への扉を開く重大な局面だったといえよう。