もしキャリアと子どもとで迷っているなら、子どもを産むことを簡単にはあきらめないでほしい。キャリアを重ねること、仕事で成功することはすばらしいことだけれど、子どもを産むことも同じくらいすばらしいことだと私は感じてしまったから。そして100%ではないにしても、仕事で失ったものはきっと別の形で取り戻せると思う。

 そして女性の場合、迷っていられる時間はさほど長くはない。少なくとも、悩んだあげく出産して「後悔した」という人は私のまわりにはいない。そういうパワーが、出産という体験にはきっとあると思うから。

生まれた身体の役割からも
男女平等は有り得ない

 とはいえ、みながみな、子どもについて私のように考えるわけではなく、そもそも子どもを産むことに興味のない人もいるだろうし、望んでも出産がかなわない人もいる。産む自由があるように、産まない自由だってあっていい。子どもから幸せをもらう人生もあれば、産むことがかなわなくても十分に幸せに生きている人も、私のまわりにはたくさんいる。どの人生も、自分で納得して選んだり受け入れたりしたのなら、きっと後悔なく、幸せに過ごせるんじゃないかなと思う。

 そんな原稿を書いてから、またいろいろと考えてしまった。日本がこれから大きく変わって、ジェンダーギャップ指数がアイスランド(14年連続で1位)みたいになる日がきたら男女平等になると言えるのだろうか、と。

 賛否両論あると思うのだけれど、男女は絶対に平等にはならないだろうと私は思っている。その理由はもって生まれた体の役割にある。子どもを産めるのは女性だけ。パートナーに「家事は平等に」とは言えるけれど、「平等に子どもを産んで」は成立しない。男女は生まれながらにして身体的に不平等にできている。

 だから男性は、キャリアを維持したままで親になることができるけれど、女性はどうしたって一定期間休まざるを得ず、その間に失うものは多い。