「冨永愛はキャリアも子どもも手にした」と思われるかもしれないけれど、そんなことはない。身を切る思いで捨てた大切なものが、私にだっていくつもある。

 女性に生まれたというだけで、子どもを産むことのない男性が得られる自由を、自動的に一部あきらめなくてはいけない運命を背負うことになる。とはいえ、子どもを産む幸せを体験できるのは女性だけの特権だし、また産まないと決めて男性と同等の自由を謳歌する人生だって女性には選べる。

平等にならないのなら
せめて「男女公正」に

 だからやみくもに、一律に、男女平等を!と謳うのは、なんだか矛盾とむなしさを感じるのだ。

 そもそもこの世に「平等」をもたらすなんて幻想だと、アフリカで思った。どこの国で生まれたかで、運命はあまりに違う。余るほど食べ物があって、ダイエットばかりを気にする国もあれば、生後まもない子どもが餓死する国もある。理不尽な戦争の中で命を落とす子もいるのに、それをテレビでボンヤリ見ている人もいる。平等な社会なんてありえないんだと、痛いほどに突きつけられる。

 人はみんな違う。平等にはなりえない。その前提に立って、せめて「公正」を目指したい。その人が必要とするものが、ちゃんと受け取れるように。

 子どもを産むことでキャリアがストップしてしまうとしても、戻ってきたときのポストを確実に保障する。できるだけ休まず働きたいのであれば、働いている間に子どもを見てくれる人や場所を保障する。休んでいる間の収入も保障する。そして何より、子どもがいることで引け目を感じるような職場の雰囲気をなくす。

 人によって必要とするものはきっと違うから、その人に合わせて「公正」な支援や保障がされていく、そんな国になってほしい。

 妊娠・出産の話って本来は明るい話題なのに、現代の日本ではなぜか暗い話になってしまう。それっておかしい。おかしいと感じたら、おかしいって言おう。組織の中で声をあげよう。そしてみんな、ちゃんと選挙に行こうよ。私たちが望むことを実践してくれる政治家を選ぼう。そうじゃないと、もはや社会は何も変わりはしない。公正な世の中を目指して、がんばろうよ、私たち!