当該学部は、興味のある科目を自由に受講することができる。そのため、特にその授業を理解するために必要な基礎的なバックグラウンドがなくても受講することができるし、前学期に受講した授業とは全く別の内容を始めることもできるため、その場限りの学びになってしまうことが多い。体系的に学ぶことが難しいため、浅い学びになってしまうのである。
英語が得意ではない
先生もいる?
もう一つの理由は、〈英語が得意ではない先生がいる〉ということだ。
じゅん:先生が英語が得意じゃなかったとき、何言ってるか分からないから楽しくない。楽しくないと寝る。点数取らない。落単する。ただそれは自責もある。でもそれはちょっと先生の責任もある。
じゅん:自責が何割、他責が何割だなと思って、この授業はしょうがないかみたいな。でも欲をいえば、そういうのを考えなくても100自責だったら、あと自己努力だけなんだからさ、理想形なわけじゃん。だからそういう環境であって欲しかったなと。先生のせいにする余地がない、であって欲しかったなと。
当該学部で授業をすることになり、それまで日本語で講義を行なっていた先生が、急に英語で講義をしなければならない状況になってしまうケースもある。先生が英語に慣れていないこともあって、内容が薄くなってしまったり、そもそも何を言っているか理解できないこともある。ある意味、先生たちもかわいそうなのかもしれない。
そして、〈内容が薄い〉〈学びが浅い〉と関連して、〈レベルの高い授業ではない〉という評価があった。
みずきは、当該学部の授業ではなく、受講していた全学共通科目の英語での授業の方が、学びが深かったという。じゅんも、全学共通科目を受講したことで、学びが深まったという。じゅんの場合、もともとジェンダーに興味を持っていたが、当該学部では内容に限りがあるため、全学共通科目や他学部設置科目を受講していたという。現在ジェンダー論について深く知識がある理由は、そういった当該学部外の科目を受講したことによるものだそうだ。当該学部の授業は、学びの興味のきっかけにはなるが、それ以降は自分で行動する必要がある。
また、もう一つ、〈内容が薄い〉〈学びが浅い〉と関連したものとして、〈達成感や成長したという実感はない〉というものがあった。