英語ヒエラルキーで生まれた
消せないコンプレックス

みずき:大学でやってきたことが本当にそもそもなくて。

みずき:基盤、何かを極めるっていうことができなかったなとはすごい思って。自信を持って、これ達成できましたみたいなことは、たぶんない。

じゅん:停滞?大学は。成長はない。なんなら右肩下がった感じ。なんか、良い面もたくさんあった、良い経験させてもらったけど、停滞かなあ。

筆者:大きく前進したことはあまりない?

じゅん:全然もうない。前進はゼロ。なんなら後退50くらい、だなと思う。

 学びを深めることができなかったがゆえに、何もできなかった、という印象になっているようであった。

 あすかは、達成できたことがない状態を踏まえて、当該学部は〈中途半端〉だという評価をしている。

あすか:(当該学部の)悪いところは、言ったら、勉強面でいうと、中途半端。何か専攻ないじゃん。作ろうと思えばそうできたのかもしんないけどさ。なんかもう、全部食べかけみたいな状態だなって。私はそうだったから。大学で何勉強したのって言ったときに、とっさに答えられない。何か、何やってたんだろう。あれ?ってなっちゃう。ところかな。

 専攻がないということは、自由に勉強ができるという良い面もある反面、自分の支えになるものがないという悲しい現実を生み出すのである。みずきも同じように、当該学部は〈中途半端〉だと表現していた。

 加えて、じゅんは〈中途半端〉という状況が、「無駄な悩みを生ませる。そういう感じがする」と言っていた。無駄な悩みを生む、とは、つまり、本来ならば悩む必要のなかったことに対して、当該学部の環境の影響で深く考えすぎてしまうということだ。達成感がない、誇れるものがない、という自己に対する不承認であり、自信を失う環境が強く影響している。

 次に出た当該学部に対する悪い評価は、〈劣等感が生まれてしまう〉〈自己肯定感が低下する〉というものだ。

 当該学部の環境は、英語に支配された環境であり、学生たちは、上には上がいるという現実を突きつけられる。頑張っても頑張っても追いつけない明確な英語ヒエラルキーの中では、劣等感が生まれるのも無理はないだろう。加えて、学びが薄いという状況も、自分は何を学んできたのだろうかという疑問とともに、自信のなさにつながっていく。

じゅん:自己肯定感は下がる。あとコンプレックスもたくさん植えつけられる。そしてそれを解消できない。できた人もいると思うけど、私はできなかったから。それは私にとっては悪いところだと思ってる。

 じゅんの話を聞くに、4年間で生まれたコンプレックスは、いまだに解消できていないそうだ。

じゅん:様々なコンプレックスを生み出され、それが解消されないまま、今にいたってます。コンプレックスが開発された場所、大学です。