けれども最近の人たちは、度を越して明るく快活でいなければという強迫観念を持っているように思う。1人の人と長くつき合うよりも、目的に応じたライトな交流と別れをくり返す機会が増えている昨今。他者から好感を持たれることの重要性が増してきたせいか、みんな人前では基本的に笑顔で元気いっぱいに振る舞い、つらくても平気なふりをしなければいけないと思いこんでいるようだ。下手にぐったりとして弱った姿を見せれば、ネガティブな印象を持たれそうで怖いのである。

 だが、人は「年中無休で元気はつらつ」とはいかないものだ。だから、たとえあなたの周りにそう見える人がいたとしても、必要以上に羨んだり、気後れしたりする必要はない。

 ソユンさんのように、元気でいきいきとしている人の中には、心の奥底に深い憂うつを抱えている人もいる。そういう人たちの元気さには、神経症的な要素が潜んでいるものだ。それが深刻化し、病気として表れたのが「軽躁病」あるいは「躁病」である。

躁病は気持ちが異常に高揚し
問題を起こしてしまう

 躁病は異常なまでに気持ちが浮き立ち、興奮してじっとしていられなくなる病気だ。こうなると状況や能力とは関係なく、精神的なエネルギーが常に高まった状態になる。睡眠を取らなくても疲れず、食事をしなくても空腹やひもじさを感じず、どんなことでもやり遂げられそうな常軌を逸した自信によって、自分の成果を過大評価するようになる。

 しかも彼らは驚くほどエネルギッシュなので、時を選ばず止めどなく話し続け、問題を起こしてしまうのだ。ひどい時は、頭の回転が速いというレベルを超えて、もはや何を言いたいのか相手に全く伝わらなくなる。

 ソユンさんの場合、母親とうまく「お別れ」ができていなかった。母の死はあまりにも耐えがたい現実だった。それを理由にふさぎこむことは、母の死を認め本当の意味で母を失うことを意味していた。そのため決してふさぎこむことができなかった。彼女は、その悲しみを誰かに気づいてほしいと切に願う一方で、誰にもそれを見せることができなかった。