「やってみたら」 

 病気で療養中の方が、旅行に行きたいと家族に申し出ることもあります。本人の体調を気遣ってなるべく行かせたくないという周囲の雰囲気の中、あえて「行ってきたらいいじゃない」と口にするのも勇気です。

「やってみたら」は、行動を後押ししてくれる代表的な言葉です。
 旅行先で何かあれば、あなたはどう責任をとるのだ、と周囲から言われるでしょう。しかし、こういう状況で何よりも大切なのは本人の希望です。最期にやっぱり叶えてあげたい、と感じるなら、では、どうしたら安全に行けるか、という方向で議論することが先決でしょう。

 それに、ちょっと乱暴な言い方をしてしまうと、仮に何かトラブルが発生した場合でも、当の本人はその旅行を後押ししてくれた人を決して恨みません。むしろ多大な感謝の念を持っています。自分の希望をまっすぐに叶えてくれる人は、長い人生でもそうはいないからです。
 だから、やってみたい、あるいは行ってみたい、と言われたら、周囲の人と力を合わせて、できるだけ叶えてあげる方向で行動してみてください。残された家族には一つの後悔も残らないと思います。

 やってみたら、やってごらん、というフレーズは、子どもが親に言われて嬉しい言葉でもあります。
 子を亡くす親の悲しみは計り知れません。順番から言えば親が先だからです。そして亡くした後で、「あの時、やりたいと言っていたことをやらせてあげればよかった」と悔やみ続ける親が多いのも事実です。

 だからこそ、やってみたら、やってみようかと笑顔で返すことで、お互いの心残りは消えます。

 行きたい、見たい、着てみたい、手に取りたい、描きたい、会いたい、歌いたい、何でも結構です。まずは「何かやりたいことは?」と尋ねてみましょう。初めのうちは遠慮して言わないこともありますが、いろいろ聞いていくと必ず出てきます。

 この言葉が有効なのは、やってみたらと言える立場の人に、ある程度の余裕がある時です。余裕がないとなかなか口にはできません。したがって常にギリギリの生活、つまり心に余裕のない生活ではいけません。
 ちなみに、余裕は金銭からは生まれません。それは「生きていることへの感謝」から生まれるものです。

 生きているということは、何か理由があって周囲に生かされている、ということです。その偉大さが理解できれば、自然と心に余裕が生まれます。
「やってみたら」という言葉には、「あなたを応援しているよ」という大きなサポートの意思があるのです。