「またね」「またお会いしましょう」 

 終末期を迎えた方の中で、面会者に「またね」「またお会いしましょう」と告げる方がいます。
 面会者が当人にそう告げるケースも当然ありますが、実はこの言葉には深い意味があります。

 私たちが普段、友人や離れて暮らしている身内と会って別れる際に「またね」と告げるのは、「また会おうね」という意味ですが、そこには「必ず再会しましょうね」という深意があります。

 どういうことかというと、元気にまた再会できればいいのですが、人生は何が起こるかわかりません。次に会える、いつでも会えると思っていたのに、何らかの事情で相手が他界したということも珍しくありません。
 必ず会えるという保証は、どこにもないのです。

 突然の訃報が信じられず、あの日、駅で待ち合わせて会った時にはあんなに元気で、二人で思い切り話して盛り上がり、「次はいつにしようか」「どこに行こうか」とはしゃいでいたのにと、嘆き悲しむ人も多いでしょう。

 死は意外と誰の身近にもあります。
 事故や事件による死は、ある日、突然やってきます。検査で病変を見つけた時にはすでに手遅れで、そのまま日を置かずに逝くケースも多々あります。
 最期までゆっくり往生できるような死と違い、こうした突然の死は、私たちの覚悟を待ちません。
 数時間前まで元気に行動していた人が、ICUで予断を許さない状況の主役となっているような状況を、長年、救命・救急医として数多く見てきた者として、人の生死の境目ほどわからないものはないと言えます。
 大規模な事故で一人だけ、あるいは数名だけ、まるで奇跡としか言いようのない助かり方をした状況をニュースなどでご覧になると、私の言いたいことが何となくご理解いただけると思います。
 だからこそ、「またね」なのです。

「またね」には、「必ず再会しましょうね」という深意があると書きましたが、そこには「三つの場所での再会願望」が込められます。

 一つ目は、次の機会にどこかの場所でね、という願望。
 二つ目は、もし亡くなっていても、あの世でね、という願望。
 三つ目は、次の生(転生時)でも会いましょうね、という願望。

 以上、三つの場所での再会願望が「またね」という言葉には込められているのです。
 普段、何気なく使っている言葉だと思いますが、そこで交わしているのは私たちの想像以上にスケールの大きな「約束」なのです。
 20世紀最大のスピリチュアル・ヒーラーと呼ばれるハリー・エドワーズは、死ぬ直前に「See you!(またな!)」と言ったそうです。私はこの感覚をとても粋に感じます。