治部れんげ『稼ぐ妻・育てる夫――夫婦の戦略的役割交換』(勁草書房)によれば、そうした共働き男性には、仕事よりも家庭を優先する人と、仕事が好きでキャリア志向ではあるものの、夫としての責任感を抱きながら、妻と家事・育児を分担する2つのタイプがあるという。

 実際、私の妻が米国で働いていた当時の同僚(米国人)で、夫婦の収入がほぼ同額だった人が何人かいた。そのうちの1人(女性)は、どちらかがメインの稼ぎ手という意識は夫も妻もいずれも抱いておらず、あくまでも対等な夫婦関係をキープしていた。

日本人男性の「甲斐性」は
岩盤のように硬かった

 一方、話を聞いた内田さん(編集部注/「経済力や社会的立場で妻より劣っていると自認する男性」として、筆者にインタビューされた)は、自分の倍以上稼いでいる妻に対し、自分が主たる稼ぎ手になり得ていないという複雑な感情を抱いているが、「最終的に、経済的な恩恵を受けるのは自分」と納得させていた。メインの稼ぎ手である妻自身は、自分自身が大黒柱になることを嫌がっているとも語っていた。

 家族社会学者の多賀太『ジェンダーで読み解く男性の働き方・暮らし方――ワーク・ライフ・バランスと持続可能な社会の発展のために』(時事通信社)は、男性だけでなく女性も依然として「男性が稼ぎ手」とする家族意識が標準だと認識していると指摘する。同時に、男性は稼ぎ手役割を務めるべく仕事最優先の生き方を強いられており、長時間労働を余儀なくされる働き方を改める必要性があるとも強調する。

 男性よりも女性が稼ぐ内田さん夫婦でさえも、妻は大黒柱になるのを好まない。妻が前面に出るのを良しとしない価値観は、今の日本でも一般的なのだろうか。そう考えると日本人男性の甲斐性は、岩盤のように硬いのかもしれない。

 先日、他社の政治記者仲間と数年ぶりに再会した。妻の赴任を受け休職して渡米し、仕事から離れていたことを伝えると、同年齢の彼は驚いた後、こんな言葉を漏らしていた。

 共働きだと、そういうことができるのか。結婚時、(妻に)仕事を続けさせるなんて考えたこともなかった。ウチは子どもがまだ中学生だから、まだまだ自分が頑張って稼ぎ続けないといけない。

 彼が、かなり疲れた表情を浮かべていたのが印象深い。