2024年、「鬱陶しいぼろきれ」スカーフを
脱ぎ始めた女性たち

 今でもはっきり覚えていることがある。2018年ごろだったろうか。私は友人のサラさん(仮名)にこう言った。

「賭けてもいい。あと15年以内に、スカーフは自由になる!」

 大した根拠もなく豪語する私を、彼女はあきれたような目で見ていた。

「ありえないわ。この体制はスカーフでもっているようなものなんだから」

 その表情には、悲しいあきらめが漂っていた。彼女は日頃からスカーフを「鬱陶しいぼろきれ」と呼び、プライベートでは決してそれをかぶらなかった。

「スカーフでもっている」というのは、つまりこういうことだ。イスラム体制は、「イスラム的支配」を常に可視化したい。まあ早い話、「ほら見て、こんなところにもイスラム的支配が及んでるでしょ!」と見せびらかしたいわけだ。

 女性たちがスカーフをかぶれば、とりあえず「イスラムっぽい雰囲気」は十分すぎるくらいに出る。逆に、かぶってもらえなくなると、「あれれ、この国のどこがイスラムなの?」と言われかねない。つまり、体制の求心力が問われてしまうのだ。

 スカーフは政治的な「道具」としてイスラム体制の根幹を支え、自分たちはその犠牲となっている――。それがこの国に暮らす女性たちの常識だった。だからこそ、「スカーフが自由になる日は、イスラム体制の崩壊する日」だったのである。

 ところが、である。サラさんと私がそんな話をした日から、15年どころかわずか4年ほどでスカーフは自由になった。私の予想は的中したのだ。しかも、思ったよりだいぶ早く。