私が提唱している考えは「不安はあなたを守るための思考で、ありがたい思考。ただ、ときどき行きすぎた反応をするので、不安の思いは受け取った後、ボリューム調整をすればいい」という考え方です(図13)。

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私たちは何かを評価するときに、期待値と現状で評価します。
「不安をゼロにできる」と思っていると、なかなかゼロにならない自分に幻滅してしまいます。「もともと生きるために必要な機能だからゼロにはならない」と思っていると、少し制御できた自分を逆に褒めてあげることもできるのです。
結果的に、どちらがその後不安になるかは、明らかです。自信と不安は表裏一体の関係なので、「自信がなくなると、不安は大きくなる」のです。
また、私たちはどうしても他者と自分を比べたがります。
同じプレゼンを前にしても、
「あの人は余裕で準備しているし、失敗して突っ込まれてもあまり気にしていないようだ。私もあのように気楽になりたい」
こんなふうに思ってしまう人も多いでしょう。
そこで、他者に対する期待値の考え方も紹介しておきましょう。
他者への期待は
ほどほどにしておく
人には、いわゆる個性があります。不安についても、不安がりやさんとそうでない人がいるのです。そのようなバリエーションが生じてきたのは、不安がりやさんとそうでない人には異なるメリット、デメリットがあるからでしょう。
不安がりやさんは人よりも早く危険を察知し、対策を打つことによって現実に大きな危険を避けることができます。一方、デメリットとしては、必死に警戒し、情報収集し考察するので、疲れてしまうことです。いろいろ考えても空振りも多いはずです。
一方、不安を感じにくい人は、この消耗を避けることはできますが、大きな危険に突然遭遇してしまう可能性は高くなります。
辛いものが得意な人と苦手な人がいるように、不安がりやかそうでないかも、体質的な部分があります。訓練などで多少は改善しても、それほど大きな変化は期待できません。
何事にも動じない人に憧れるかもしれませんが、「その人」にはなれません。完全にその人のようになれると思って努力してしまうと、そうなれない自分に幻滅してしまいます。