湯島聖堂の孔子像Photo:PIXTA

「人生には勝ち負けしかない」。この世に出回っている数多のビジネス本や自己啓発本で飛び交うこの言葉だが、それに一石を投じる考え方が、2500年以上前に孔子とその弟子によって成立した「論語」の中にある。「論語」の中で「理のない戦いでは、弱者に負けることも勇気の1つだ」と孔子は語っていた。圧倒的優位の戦いにおいても、なぜ孔子は弟子に『理が無ければ「敗けろ」』と教えたのか?※本稿は、内田 樹『勇気論』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。

孔子が弟子に語った
「よくない勇気」とは

『論語』には「暴虎馮河の勇」を咎める言葉があります。「暴虎馮河」というのは「素手で虎に立ち向かう。黄河を徒歩で押し渡ろうとする」というような血気にはやった無謀なふるまいのことです。『論語』の「述而編」にある言葉です。これは「よくない勇気」の発動の仕方であると孔子は咎めています。どういう文脈で出てきた言葉なのか、それを見てみましょう。

「子、三軍を行わば、則ち誰と与にせん。子曰わく、暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀りごとを好んで成る者なり。」

 これは孔子とその弟子である子路との対話です。子路というのは孔子の弟子の中では1番明るく、また勇猛な人物です。中島敦が彼を主人公に『弟子』という小説を書いているくらいに、カラフルな逸話に事欠かない魅力的な人物です。

 子路は孔子に長く仕えてきた古参の弟子ですので、師に向かってもわりと遠慮なくものを言います。今回の問いもずいぶんストレートなものです。「先生は三軍を指揮されるとしたら、どんな人物とともにことを行いますか?」と問いかけています。これは子路にとってはきわめて切実な問いでした。先生は「ともにことを行う人間」として自分を選んでくれるだろうか。子路はそういう実存的な震えを感じながらこの問いを発したのだと思います。

 それに対して孔子はこう答えます。「暴虎馮河の勇をふるって、死んでも悔いのないというような者とはともにことを行うことはできない。私ならことにあたって慎重に構え、よく計画を立てて成功する者とともにことを行う」