孔子が考える勇気の意味を
『孟子』から読み解く

 果たして、孔子は勇気についてどう考えていたのでしょうか。『孟子』の原文を徴して、孔子が勇気についてどう考えていたのかを、もう少し考えてみようと思います。まず原文を読んでみます。こんな文章です。

「吾かつて大勇のことを夫子に聞けり。自ら反みて縮からずんば、褐寛博と雖も吾惴れざらんや。自ら反みて縮ければ、千万人と雖も吾往かんと。(私は以前「大勇」とは何かということを孔先生に伺ったことがあります。すると先生は「顧みて、自分に理がないと思ったら、相手がぼろをまとった賤民でも私はおそれる。顧みて、自分に理があると思ったら、千万人が立ちふさがっても私はことの筋目を通すだろう」と答えられた。)」

 ここで「吾」と言っているのは曽子という孔子の弟子の1人です。「夫子」は孔子のこと。孟子は曽子の弟子の子思のそのまた弟子に当たりますので、これは孟子が師匠から聴いた話を録したものなんでしょう。

 さて、この引用にはまだその前段があります。この前段を読まないと、実はこの部分の意味もわからないのです。

「千万人」というフレーズがどういうコンテクストで出てきた言葉かというと、この章のテーマは「心が動く」ということでした。弟子の公孫丑が孟子に「心が動かない」というのはどういうことですかと訊ねたので、孟子がそれにはいろいろな種類、いろいろなレベルがあるということを具体的な実例に即して答えた中で、このフレーズが出てくるのです。