子路に伝えた言葉は
孔子の本心なのか?

 でも、「暴虎馮河の勇」を否定的に語った孔子のこの言葉をそのまま受け取ることにはちょっと留保が必要です。というのは、孔子は弟子からの問いにはつねに相手に対して「最も教育的な効果をもたらす答え」を以て応じるからです。相手によって言うことを変えるんです。たいていはその弟子の欠点を矯正するように。

 例えば、弟子の子貢が「君子とはどういうものですか?」と訊いた時には「まず自分の主張を実行し、その後で主張を語る人である」と答えます。言葉より先に行動するのが君子であると定義したのですが、これは子貢が弁舌が達者で、ついその才に溺れがちだったのをたしなめるためにそう言ったのです。

 ですから、子路に向かって言った言葉が孔子の本心かどうかはわかりません。というのも、「自ら反りみて縮ければ、千万人と雖も吾往かん」というのも実は孔子の言葉だからです。

 こちらは『孟子』公孫丑章句上にある言葉です。自ら顧みて、自分に道理にかなっていると思えるなら、敵が千万人立ちふさがっていても突き進んでゆくと言っているわけですから、この「吾」はどちらかと言えば「暴虎馮河し、死して悔いなき者」の類のように思われます。

 じゃあ、孔子はいったいどちらを言いたかったんでしょうか。ある時は「暴虎馮河」はダメだと言い、ある時は「千万人と雖も吾往かん」がよろしいと言っている。これでは読者は混乱してしまいます。