安倍晋三元首相暗殺事件を機に噴出した統一教会問題の発生から2年が経った。さまざまな議論の中で飛び交ったのは「わたしはだまされていた」という声。だが、そうした人たちに責任は全くないのだろうか。かつて敗戦直後、自らの無知を理由に戦争責任を忌避しようとする人たちをきびしく批判した人がいた。その人の名は伊丹万作。映画、エッセイとメディアを縦横無尽に駆け回った鬼才伊丹十三の父である。伊丹氏は「騙し合い」の日本史を作り続ける我々に疑問を投げかける。※本稿は、内田 樹『勇気論』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
根本的なカルト対策は
「人を見る目を養え」
このところメディアを賑わせている統一教会の問題についていろいろな専門家がいろいろな知見を語っています。政治学者は政教分離について語っています。霊感商法の被害者弁護団の人たちは「カルトの法規制」について語っています。大学でカルトの勧誘から学生たちを守る仕事をしている教職員たちは、「カルトの外形的な見分け方」を教えています。みなさん、当然なされるべき仕事をされていると思います。でも、どこにも「人を見る目を養え」と教える人がいない。
自分のところに接近してくる人間が「信用できる人間」かそうでないかを見極める鑑定力があれば、カルトに洗脳されるリスクはかなり軽減されます(ゼロとは言いませんが)。そのためには10歳くらいから、大人たちは「世の中には決して信用してはいけないタイプの人間が存在する。その特徴は……」ということをそれぞれの経験知に基づいて子どもたちに伝えておくべきだったと思うのです。
敗戦直後に映画監督の伊丹万作(伊丹十三のお父さんです)は『戦争責任者の問題』というとても印象的な文章を書いています。それは今度の戦争を振り返って「私はだまされていた」という総括をする人々をきびしく批判したものです。