旧宮家がなぜ皇籍離脱したかの
議論にはあまり意味がない

 次に、しばしば論争になるのは、保守派の人たちが「旧宮家の皇籍離脱はGHQの命令によるもの」といい、それに対して女系派の一部が「旧宮家の人々が自ら申し出た」とか「昭和天皇や日本政府の意向だ」といっている件だが、これはあまり意味のあるものではない。

 憲法改正、公職追放、華族廃止、農地改革などの戦後改革は、GHQが直接実施したものもあるが、大部分は、日本政府に対して指示したり、日本政府がGHQの意向に忖度したりして提案したものだ。

 皇族をスリム化する意向は伝えられていたし、華族制度の廃止、皇族に対する手当の差し止め、財産税の課税などで、皇族も体面を保つこともできず、命令される前に辞表を出したい、皇族でなくなった方が経済活動を制約されないなどと考える者もあった。

 いずれにせよ、強い圧力により選択の余地もなかったことについて、押しつけかどうかを議論するのは意味がない。憲法改正もそうだが、強制とまではいえないから法的に無効ではないが、押しつけであることも否定できないということだ。

「戦前の皇室典範では、皇族であるのは邦家親王の曽孫までとなっていたから、現在のご当主ですら一部は皇籍離脱させられていたはず」という議論も意味がない。制限したのは皇族数が多くなりすぎるのを避けるためであり、足りなければ、延長したり復帰させたりしていたはずだからだ。

「皇族の養子になる希望があるか本人の意向を確認し、該当者がいることを先に明らかにせよ」というのもひどい暴論だ。養子になるのは基本的に未成年の人たちで、細かい条件を示してお願いする話だ。

「女系を含めた現皇族の子孫がいなくなったらそのときに考えればいい」というのもおかしい。現在ですら、旧宮家は皇室と縁遠いというのであれば、さらに何世代も後となればなおさらだろう。

 現在の案は、将来において、皇統断絶を避けるために、旧宮家も継承候補として取り込みつつ、将来において、その時の状況や世論を見て、女系天皇の目も残すものだ。しかも、旧宮家の大部分は、明治天皇以降の天皇の女系子孫だ。皇位は個人財産でないのだから、親から子が絶対無比の原則ではないということを、女系論者には申し上げたい。

(評論家 八幡和郎)