「就活はコンテスト」
という大きな誤解

 学生サイドは、能力のある人材が採用されると誤解しているので、懸命に言葉を繰り出して志望理由や自己アピールに注力します。

 一方で、面接者は最大公約数的には、「同僚や部下として一緒に働けるかどうか」という基準で学生を見ています。そこに大きなギャップがあるのです。面接はコンテストではなくて、コミュニケーションの場なのです。

 面接者は、就活指南書通りに練習を積んだ上っ面の言葉よりも、表情から人となりを読み解くことを重視しています。「自分の話を聞いていない」と感じた学生は、相手のことをきちんと見ている(コミュニケーション力がある)ので数社の内定を獲得してきます。

 私がこうして顔に興味を持ったきっかけは、実は幼少期にまでさかのぼります。私が生まれ育った神戸新開地は、かつての繁華街、歓楽街で、家の周りには、公務員や会社員はいなくて、商店主や職人、アウトローの人たちが多かったのです。

 安定した生産手段や頼れる組織を持たない人にとっては、信頼に値する人物であるかどうかを測る尺度は顔であることに気が付きました。

 実際に、「顔が広い」「顔が立つ」「合わせる顔がない」「顔に泥を塗る」「顔を貸す」「顔を売る」など、日常的に顔を使った表現をする人が多かったのです。

 顔一つで「この人なら信頼できそうだ」と思ってもらえるのは、大きな特権です。しかしこれはロジカルなものではなく、印象論でしかありません。それなのになぜ、大人たちは見た目の顔の印象だけで人を見極め、心を許すのだろうかと、子ども心に疑問を抱いたことが、顔に対する興味につながりました。

 通学の電車内でも前に座っている人の顔つきを見て「今はどういう気分なんだろう?」とか「2人は姉妹なのか友人なのか?」などを推察することが楽しみでした。

 また、就職した当時は、その人の学歴やどういう会社に勤めているかが信頼性の基準になっていることに、少しとまどいを覚えました。私はあくまでも「顔」にポイントを置いていたからです。ただ、最近は皆うつむいてスマホを見ているので、顔を見る機会が減りました。