「あの発言はパンクだね」という言葉が日常会話のなかで使われるなど、今やパンクという文化は日本において「土着化」にしっかり成功している。なぜ、パンク・ロックはこれほどまでに日本に浸透したのか?気鋭の作家が“パンクと日本文化”を徹底解説する。本稿は、川崎大助『教養としてのパンク・ロック』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
「あの発言はパンクだね」
土着化に成功した「Punk」
じつは日本におけるパンク受容のありかたは、かなり「教養」的だった。パンクという抽象概念、テイストそのものを噛み砕き、各人が「ああ、あれね」と普通に理解できているからこそ到達し得た、とてつもなく広範な「パンク土着化」に成功しているという点が、証拠のひとつだ。「海外由来の教養として」頭で理解して、そして、日本語世界にパンクは移植され続けてきたのだ。
たとえば、あなたは幾度も耳にしたことがあるはずだ。形容詞としての「パンク」を。ごくごく普通の、日本語の日常会話のなかに、すでにして「パンク」は明確な居場所を得ている。元来は英語の「Punk」だったものが、カタカナ表記の外来語として。
誰もが馴染みあるだろう例としては、人物を指して「あいつはパンクだ」とか。「あの発言は、パンクだなあ」とか。ヴィジュアル面の「パンクな感じ」のほうが、わかりやすいかもしれない。髪型や服装、グラフィック・デザインなどにおける「パンク調」というやつだ。
「パンクな絵柄のTシャツ」なんて言葉を目にしただけで、そこからすぐに、「なるほどね。ああいった感じね」と、なにかしらのイメージを思い浮かべてみることができる人は多い(でしょう?)。