「評価バブルがはじけた」人と
「メッキが剥がれた」人の違い
期待していた人に落胆することがある。もうちょっとできると思っていたのに全然ダメじゃないか、と。
そういう場合、実は2つのパターンがある。一つは「バブルがはじけた」パターン、もう一つは「メッキが剥がれた」パターンだ。実は、この2つはかなり異なった状態にもかかわらず、区別せずに、「あいつはダメ」と一刀両断にしてしまいやすい。
簡単に説明してみよう。
バブルがはじけた
経済的な文脈でよく使用され、特に価格や評価が非現実的なレベルで高騰していたものが、突然その価値を失う状況を指す。人に対して用いられる場合は、非常に高く評価されていた人の能力や成果が、ある出来事をきっかけに急速に見直されるという状況を示す。
この場合、期待値を高くしていたのは本人ではなく、評価する側であり、評価する側が本来の価値を極度に上回るような高い評価をしていたことが原因である。
例えば、「海外有名大学のMBAホルダーや博士号取得者である」「外資系の有名コンサルティング会社にいた」「最先端の技術を持つIT企業にいた」「難しそうな資格試験にパスした」などといった経歴から、何でもできるスーパーマンのはずだと勝手に期待値を上げておいて、その人がそこまでではないと、「あらま、ちっとも大したことない」と勝手に蔑む。
メッキが剥がれた
何かが表面的には美しく見えていたが、実際にはその質が劣っていることが明らかになった時に使われる表現である。つまり、見た目はよくても、その内実が周囲の期待に応えられるレベルになかったことが露呈した状況を言う。
人に対して使用する場合、「一見、能力があるように見えても、実際にはそのような能力がなかった」という意味合いで使われることが多い。同時に、“本人が”「中身はないのに、凄そうに見せかけていた」という意味も含む。
例えば、プレゼンテーションさせたら格好よい若手社員、前職で高い業績を達成したと鳴り物入りで入社した管理職……。しかし、実際は、うまいのは話だけだったり、過去の業績は実は他のメンバーのおかげで本人はたまたま責任者だっただけだったり、といったケースである。
このような場合、本人が自分は大したことがないと自覚していれば良いのだが、立派に見せていればどうにかなる、と高をくくっていることが多いのが難題だ。