「錦市場」に生まれた若冲の緻密な描写力

シャッターアート錦市場にある若冲作品のシャッターアートは閉店時間中だけのお楽しみ

 まずは、生粋の京都人である若冲の生涯を見ていきましょう。生まれたのは、徳川吉宗が8代将軍に就任した1716(正徳6)年。生家は代々源左衛門を襲名し、桝源と呼ばれる“京の台所”錦市場の青物問屋「桝屋」。2人の弟と妹1人の4人兄弟の長男として育ちました。3歳下の大典禅師によると、幼いころから勉強が苦手で字も下手だったとか。父亡き後、23歳にして4代目源左衛門を継ぐも、酒も飲まず、旦那衆と共に祇園でお茶屋遊びに興じることもなく、俗事を好まなかったそうです。

 40歳で弟に家督を譲り、10代半ばごろから描いていたという絵画に専念する道を歩み始めます。当初は、狩野派の絵を模写し続けましたが、狩野派の美の範疇にいるだけではそれを超えることはないと悟り、狩野派の源である中国絵画にシフトチェンジ。1000点にも及ぶ作品を模写して画力を高めていきました。

 その後、自身の目で観察しながら描くことの大切さに気づき、日常生活を営む場で時間を気にすることなく写生に没頭します。自宅の庭で放し飼いにした鶏を描き続けるうちに、羽毛1本までリアルで緻密な表現力を研ぎ澄ませていきました。鶏から始まり、草や木、野菜や果物、鳥や獣、虫や魚など、描く対象は多岐にわたります。

 若冲のすごさは、緻密な描写力に加え、着彩の鮮やかさにあります。12万個もの1cm角ほどの升目に色を埋めていく、まるでモザイク画のような『獣花鳥獣図屏風』の空前絶後の技法。横たわる大根の周りを果物や野菜たちが囲む様子を描いてお釈迦様の涅槃図に見立てた『果蔬涅槃図』のようなユニークな発想が、見る者を驚かせ、今でも魅了するのでしょう。