と吉村は記している。太宰治賞だけでは一家4人の生活は厳しかった。1年と期限を切られたその時期に、「武蔵」の話があったのは、今となっては運命のように映る。
思いをわかってくれない息子に
父は悲しそうな顔をして黙った
吉村の1日は規則正しく、朝8時10分に起床し、朝食を終えると離れの書斎に「出勤」した。昼食をはさんで仕事をし、夜の6時になると書斎に鍵をかけて母屋に戻った。
それからは家庭人の時間だった。子供たちに仕事の話をすることはあったのだろうか。
「夕食のときに、父は書いている小説の話をしてくれました。父の小説は読んでいました。中学から高校にかけて、父の小説に夢中になったことがあります。『星への旅』や『少女架刑』といった初期の純文学作品が好きでした。眼に浮かぶような鮮烈な描写に芸術を感じました」
だからなのか、司は『戦艦武蔵』を読んだときはがっかりしたという。初期の作品こそが吉村の本領と思い込んでいたので、『戦艦武蔵』は史実を書いているだけで、創作とは思えないと吉村に言った。