自分の作った野菜をもらってくれる人がいることで、こんな山の中で、年老いて社会の役にも立たなくなった(と思っている)自分が生きている意味を知り、自己を肯定する。そのことで社会とのつながりも感じられ、励みになる、元気になる。人はいかに些細なことであっても、社会の中で自分が「必要とされている」と感じることが生き甲斐になるのだと思います。

 非常にシンプルですが、自分のいる地域で、自分の役割を感じられること。自分が必要とされている、そして相手には「あなたが必要だ」と伝える、そのように互いが自分の役割を実感できることこそが、経済的豊かさだけを求める社会に抵抗できうる、唯一の持続可能な生き方ではないか、と思うようになったのです。

経済を追い求めた戦後の80年間で
私たちが放棄してきたもの

 日本は戦後80年で、GDPを向上させることが幸せな暮らしをもたらすと考えてきました。

 焼け野原になった日本を世界の1等国にするために、経済を重視して生産性を上げようと努力してきた結果として、モノは豊かな社会になりましたが、一方、お金だけで価値をはかるようになりました。賃金の発生しない家事や育児、介護も重要な労働であるにもかかわらず、相変わらず価値の低いものとみなされています。